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カテゴリー:SS(シヨートショート)

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お試しSS 第十幕(fol)

  • 07.14
  • 2013

 

 近江国佐和山城、その一室。人と妖、異なる二つの気配があった。

 一方は文机に向かって墨を擦り、もう一方はその後ろでうつ伏せ気ままに寝転がっており、墨を擦る音に合わせて鼻歌を交えていたが、それもやがて途切れ、

「八夜よ、また今回も誰も読まぬものを書き連ねるのか?」

 問うたのは文字通りに羽を伸ばしてくつろぐ妖異、鴉天狗に連なる夏藻。

 普段の大鴉姿ではなく人の姿で、眼を細め、見ずともわかる好奇を音色に乗せていた。

 

 手を止めず振り返らず、机の上に積み上げた草紙用の束を見やり八夜は言葉を継ぐ。

「誰も読まない、ではなく、読ませない、ですよ。

 なにせ事が事です。喧伝するような噺でもないですし。毎度言っているでしょう、こうして書くのは道楽のようなものです」

 道楽を教えたのは誰ですか? 八夜は、そんなことを問うように小さく肩をすくめた。

 

「見掛けのほうは足早く変化していきよる癖に、そういう部分は変わらんものよな……ああ、まったく」

 夏藻もまた呆れるようにして嘆息すると、八夜が点てた茶に手をつけて顔をしかめる。

「苦味が無いのう……」

 そんな感想と共に、青みのかかった磁器を紅く染める茶の色をしげしげと見つめ再び口をつけた。

 

「南蛮の茶葉だそうですよ。
 先日、南蛮側(あちら)へ事件の顛末の説明の帰りに分けて貰ってきたんです。どうです?

「私としては宇治の茶のほうが好みじゃな。舌も地物が似合っておるんじゃろう」

 夏藻は、カカカと小さく笑い。

「それで、そっちの話はどうなんじゃ?
 私を置いて羽を伸ばしてきたのだ土産話のひとつやふたつはあるのであろう?

「たいした話はありませんよ?」

 八夜の言葉に返事はなかった。ただ楽しげな鼻歌だけが小さく続いていた。

 返答得られず八夜は準備の終わった墨汁へ目を落とす。

 黒々とした液体に映り込むのは自身の顔。

 同じ顔形をした妖異なる相手の表情を想像するように口角を弓なりに曲げる。

 

 珍しくこうして人の姿をとってまでいるのは、夏藻なりに拗ねているのだろう、と。

 そも妖異。育ての親にして齢は人の一生をゆうに越え、時として大人であろう恐れるべき存在なのだが、数日ほどの離別で幼子のような態度を取られては八夜も笑うしかなかった。

 

「なんじゃ?」

「いいえ、なんでもありません。それよりも南蛮側への説明でしたね。

 とはいえ夏藻が人の情勢にさほど興味を持つとも思えませんので、掻い摘みましょうか」

 少しの間。そして八夜は、夏藻の意思を無言の肯定と受け取り、硯の隣に置かれた筆を取った。

 

 

 

「まずは今回の騒動で両国の関係の悪化や変化はありませんでした。

 事件の被害にあった人だけで数えれば、南蛮側の人間が領内で亡くなったことになりましたが、南蛮(あちら)と日ノ本(こちら)の落としどころはありましたからね」

「シミテールの存在じゃな。南蛮から見ればさぞ仕立てやすかったであろうな。
 犠牲者もおる上に死人に口なし、あやつにとっては口惜しいかろう。
 さりとて、もとより失敗してもいいように組み込まれておったんじゃろうて」

 

 夏藻の言葉に八夜は頷く。

 仮に生け捕りにしたところで、人と妖異の言葉どちらを信じるのかと利害関係にあるものに問えば、真偽がどうであれその答えは容易に想像できた。

 様子見で痛手を負う国でもなければ、またそうした目論見を看過し対等たろうと平然を装うことも、そんな小さなやり取りもあったが、記すことでもなければ、記せることでもなかっただろう。

 また日ノ本側には死者という形で明確にすべき被害者がいなかったことも理由となった。

 

「結局のところ、あやつひとりが踊らされて私らが首を突っ込んだというところか」

 いつの間にか夏藻の鼻歌は中断されて、どこか遠くでもみるようにぽそりと呟いていた。

 同種族への憐憫なのか気まぐれか、どちらにしても悼むような静寂を跨ぎ、

「ああ、終いのようじゃな。騒がしい音が聴こえてきたわ」

 笑みを細めてカラカラと、外へ促す先を追えば聞こえてくるのは人の足音。

 常あるところ奉公する人々とは違う、足速い響きに八夜は思い当たる節があった。

 

「……常茂殿ですね」

 微苦笑を交えて八夜は拙いと直感し背に冷たいものが流れるのを感じていた。

 常茂が知る夏藻は大鴉の姿のみ。二人の相性がどうなのかは八夜にはわからぬことであったが、武威のためにと妖異と対することを望む常茂が、見た目にわかりやすい人の形をした夏藻を見ればややこしくなるだろうと。

 

「さて、どうする?」

 どこか楽しみ試すかのように夏藻は問い、耳にする足音は一層近づく。

 どうするべきか、八夜がそんなことを考えている間にも時は流れ、

 

「おう! 邪魔するぜ――っと、どうした?」

 さらりと戸を開けて姿を見せたのは常茂。部屋の主の姿を探して怪訝にしながら驚き、部屋中に乱舞するそれを掴み取った。

「なんだ……ってこりゃ紙か。うわっ、こっちは墨が乾いてねーし!?」

 

「あっ、ははははっ、すみません。うっかり紙束を飛ばしてしまいまして……」

 八夜は照れ笑いでごまかしながら床へと積もる紙を拾い集める。

「うっかりね。まあここまでの大盤振る舞いだ、手伝うぜ」

 そうして常茂が、足元のひと際大きな紙の山をめくれば大鴉姿に戻った夏藻が何食わぬ顔で羽を広げる。

「おうおう、お前も大変だったみたいだな」

 夏藻の黒羽を撫ぜようと手を伸ばしたが、常茂の手を警戒するように後ずさった。

「……僅かとは言え旅をした仲だってのに、つれねえなあ、おい」

 手を進めれば、後ろ下がる。遊びのように二度三度と繰り返しても常茂は上機嫌に笑う。

 

「おや、何か良いことがありましたか? 常茂殿」

 八夜の言葉に振り向くと、喜の気配をより強くして勿体つける仕草で間を作ると。

「じつはこの度の功が認められて兵員として戦場に行けるようになったのさ。
 まあ今は後詰で戦功が……なんてのは難しいかもしれないが、いずれ機会も出てくるだろうしな」

 妖異を退じた武名ではなく、一揆に加担したと鉄砲鍛冶の所領にまつわる政治的な事柄、棚ぼたであったことは惜しそうに。それでも自らの武は他で立てると表情で自信満々に告げていた。

 

「それはおめでとうございます。今日はその報せを?」

「ああ、それともうひとつ。明日には発つことになったから、お前とこいつで一杯やろうと思って来たんだよ」

 常茂は腰に巻いていた瓢箪ほどの大きさをした徳利を掲げてみせた。

「な、なるほど。それにしても明日ですか――準備とか大丈夫なんですか?」

「結構、結構。こっちは足の軽さだけが取り得でね、たいした荷物もない気の身気のままよ!」

 誇らしげに胸を叩く常茂を見て、八夜はまあそれならと観念したように集め終えた草紙の束を机に置く。

 振り返れば、手早くと何処からか持ち出したのであろう肴の類を広げて彩り、二つ用意された猪口には並々と注がれて、すぐさまその一方を常茂より手渡される。

「互いの無事と今後を祝してですか?」

 八夜の問いかけに相好を崩しながら、

「まあそんなところだわな。飲みたかっただけかもしれんが、まずは一献」

 

 中身を零さぬようにと猪口を小さく当てひと息に飲み干した。 

「おっ、いけるクチか。ほれ八夜、次入れるぞーっと、
 おっ、お前も飲むのか?」

 八夜の猪口へと酒を注ぎ入れながら、置いた徳利へとくちばしを突く夏藻の姿に驚きながらも興味を持ったように自らの猪口を酒で満たして床へと置いた。

 

 すると、先ほどまでの警戒が嘘のようにと無警戒で猪口へ、くちばしを近づけて器用に中身を啜り終えると次をせがむように猪口を鳴らした。

「ははっ、調子の良いやつめ。しっかし……鴉に酒飲ませても平気なのかね?」

 

「……たぶん、いいんじゃないでしょうかね」

 景色でも見るように、ついと外へ視線を逸らして八夜は猪口を傾ける。

 まだ陽の明るい空を、熱を帯び始めた頬にそよぐ風に、一人と一匹による酒宴の声を聞きながら八夜はひとりごちる

「たまには、こんな日も――ですかね」

 

 ―終―

お試しSS 第九幕(fol)

  • 04.28
  • 2013


「これが妖異の正体か、……なんていうか拍子抜けだな。これじゃ普通の蛇と変わらんだろ」
 足元に視線を落とし常茂は、落胆を隠さずそう漏らした。
 刀の先、床板と共に刺し貫かれたのは妖異本来の姿であり、変哲もない小さな蛇のような形。
 身動ぎひとつなく、ただの蛇であれば仕留めたと確信できただろう。
 しかし、相手は初めて相対した異形の存在。まして死体を操る身となれば、その姿は油断を誘う手管であるかもしれない。
 それはある種の期待であるのと同時、小さな姿に対して、絵巻物や噺のような思い描いた妖異討伐と異なる呆気ない現実を見せられたようで燻るものを納得できないでいた。

 その正反対、八夜は大きな安堵を吐き出して、
「普通、ですか?」
 言って首をひねりながら常茂のほうへと行灯を向ける。
 そこに横たわるのは一頭一尾の蛇、そんな姿をした妖異。

「で、どうだ? 八夜、これは退治したってことでいいのか?」

 常茂の問に対して考える素振りをみせ、ややあってから、
「ええ……はい。断言はできませんが、おそらく。死体を操る妖異といえど、その本体は生きていることに違いはありません。刀で斬られれば傷を負いますし、痛みもあります。まして小さな体に刀を突き立てられては死んだ振りを続けるよりも逃げ出すでしょう。もし気になるのでしたら一晩ほど放置してみますか?」
 問い掛け、そして間を置かず、常茂のお陰で助かったと継いで頭を下げた。

 そして顔を上げた八夜が安堵に表情を綻ばせていたため、常茂は不承不承とした己を恥じるように、ついと気まずそうに視線をそらした。
「んっ、ああ。なんというかだな。噺に聞いた妖異って奴らは、やれ身の丈が人の倍だの、火ぃ吐いたりなんだのと、とんでもないのを想像していたからな……」
「拍子抜けですか。たしかに砦に来るまでの常茂殿の武勇は見られませんでしたからね。しかもこの妖異では退治したと広めたところで武勇に箔をつけるのは難題でしょうね。ですがそれなら」
 八夜は笑みを明るくして、手にしていた行灯で部屋の一角を照らして示す。
 自然、常茂も明かりを追いかけて動き、
「おう、とっちらかってるな」
 状況そのままを素直に口にしていた。

「あ、いや、まあ……散らかっていますね」
 八夜は苦い笑みと共にしゃがみ込む。
 そして床に、無造作に散らばった鉄砲のひとつを常茂に手渡した。

「鉄砲だな。ってまさか、この部屋にある箱全部がか?」
 その言葉に八夜は静かに頷く。
「確認はしていませんが、十中八九そうかと。使用も可能ですし数もあります。何よりこの鉄砲、殿の、または大殿の利に繋がるでしょうから」
「大殿の利? 何かあるのか?」
「おもに証拠品としてです。鉄砲というものは勝手に生えたり歩いて来たりはしませんから、誰かが用意したということになります。なら誰が、ということを突き詰めると困るのはさて誰でしょうか?」
「そりゃ、鉄砲のことなら商人か鍛冶師か。だが、ここ近江国は商いも鉄砲鍛冶も盛んになっているんだぞ。その上に商売であれ、過去にであれ、咎めようもないだろ? ていうか、小難しい話はいいや、どうなるんだ?」
「はい。ですが知行を、鉄砲の確保を推し進める大殿から領地を拝して鍛冶の発展に投資を受けていたとしたら? と、まあこのあたりは推測になりますが、鉄砲そのものに価値がありますから持ち帰れば手柄に違いありませんよ」
「最後のがわかりやすくていいな。くさくさしているよりか幾らかそっちのほうがマシだな。なんにしても、とりあえずは夜が明けるのを待つしかないわけか」
 そう言って割り切ると、常茂はここで寝るのは勘弁だと他の部屋を調べに動き出した。

 そして残された八夜は、その背を見送ってから屋根より差し込む月の影を見上げる。
「さて、頼みましたよ……夏藻」
 八夜の呟きは誰に言うでもなく風に溶け込んだ。

 

 闇の中を這い進む存在があった。小さな蛇。
 森の中を我が物で駆け回る獣のごとき疾駆。
 
 すべては危機から逃げ去るために。
 二つの頭のひとつを囮に逃げ出していたシミテールは、蛇の身にそぐわぬ速さを出し妖異である証を隠すことなく発揮していた。
 砦で嗅ぎ取った別な妖異の気配。鉄砲から放たれた鉛玉の軌道を歪めた異能の痕跡。
 相手のことはわからないも同然だが対象の脅威を測るまでもなく。もとよりシミテールには、身ひとつで他の妖異と対する術などないのだと自覚していた。

 だからただ闇雲に逃げるわけではなく目的を持っていた。
 根城とした集落に新しく使える死体はない。近く使えなくなるであろう体は人避けとして常茂相手に使い切った。
 そうでなくともいずれ使う死体がなくなることは明白で、シミテールはすでに次の集落の目星をつけていた。

 先の集落よりも規模は小さく、やはり飢饉の影響を受けつつあった。
 周囲との繋がりも薄く、仮に一夜で滅んだとしても気づく者などほとんどなく、水面下で力を蓄えることができるだろうと。
 短命である人にはない長命の、それもほぼ命脈を保ち続ける妖異という存在ならではの気の長い話であった。

 そしてその集落に近づいた矢先、自らに運が向いてきたことに笑んだ。
 木々の先には小さな泉。その泉では人の子供、痩せこけた童が泉の水を手で掬っていた。
 明け方ではあったが、まだ空は暗く月も見えていた。おそらくは空腹から目が覚めて、水を呷り飢えをしのいでいるのだろう。そんな風に自分の幸運を受け取った。

 弱った童が一人。
 蛇の身しかないシミテールにとってはありがたい獲物であった。
 死体しか操れないのであれば、生きた人間を殺すしかない。

 牙を鈍く光らせて、ゆっくりと童へと這い寄る。

 暗がりは妖異にとって人の目を暗ますものでしかない。
 陽や火がなくともそこにあるものの姿が変わったりはしない。
 色も匂いも、景色も形も。

 ゆえにシミテールは異物の気配を悟り、その身を止める。
 忌々しそうに、舌打ちを交えて。その先を、遮るように伸びた大樹を舐め上げた。
 その気配は、今もっとも注意するべきものであったのだから。
『貴様が人に味方する同胞か?』
 いっそ裏切り者と、批難を交えた呪詛を吠えた。

 月灯りの漏れる木々の中、人の腕ほどに伸びた枝に腰掛けているのは人の影形。
 月に照らされる姿は、たしかに人のそれであったが大きく異なる部分も見て取れた。

 背から生じる鴉の翼。夜よりもなお暗く、その存在を形として浮かび上がらせていた。
 木の上の妖異は静かに嗤うのみ。

 その姿は、シミテールにとって見覚えのあるもの。
 忘れるほど間もない相手の様相に――
『謀ったのか? それとも今度は何を話すつもりだ?』
 純粋に問う声に対して、嗤う声はより大きくなる。その高い響きから女特有のものを感じシミテールは困惑する。
 そんな懊悩を読み取ったのか、可笑しさに耐え切れなくなったと木の上の妖異は口を開いた。
『八夜(アレ)に何を吹き込まれたのかは知らぬが、他人の空似だよ。まあ気まぐれに拾って、育った姿を見たときは流石に驚きはしたがな。八夜は人間、私はお前の言った通り同胞。気配でわからぬわけでもあるまい?』
 茶化すように問い掛け、先ほどを思い出してか腹を抱えて嗤う人姿の顔形はたしかに八夜のものと瓜二つであった。

『ならばお前はあの鴉か? どうしてこちらの居場所がわかる?』
 そんなシミテールの問い掛けに、ようやくからかいを収めて見下ろした。
『そういうことだ。まず、ひとつ目に応じよう。挨拶しておくべきなら天狗の夏藻と言ったところだ。短い付き合いであろうがな』
 黒い翼が大きく広がる。動くという意思表示に他ならず夏藻のまとう雰囲気も冷たいものへと移う。
『ついでふたつ目。むろん我が力、と言ってやりたいところだが、こればかりは貴様が遠ざけようとしていた人間の手柄よな。妖異としての力を使って逃げてくれたお陰で、その痕跡である穢れを辿ればこの通り。まあ……それもこの姿になるべく、変化を解いた際に耐え切れず砕け散ってしまったがな』

 もう追う手段はない。そうひけらかしでもするように、夏藻の手のひらから黒い粉が風に乗せて落ちる。穢れに染まった塩は、微細に飛散していくがけして消えることなく散っていく。

 それをつぶさに眺め、すべて零れ落ちた頃合。夏藻は完全に上位の者として介錯の意を紡ぎ、呪を編むように片手を構える。
『さて、これで思い残すことはもうないか?』
『待て……』
 シミテールの言葉に、ほう、と感心が漏れる。咄嗟に出た言葉であったが、夏藻は愉快そうに動きを止めて次を待つ。
『お前は、ここにいる私が最後だと思っているのか?』
『ふむ? 命乞いには聞こえぬが、その言い草では複数いるように聞こえるな――死体の操作がすべて己なら、あの動死体共はすべてお前となるのか。だが、正直構わん。狙いは貴様だ。他にいようと増えようと関係がない―ー』

 言葉に割り込み、蛇の身がうねり飛ぶ。
 一瞬と限定した妖異としての力を振るい、夏藻の視界より消え去った。

 

 シミテールにとってそれは賭けであった。相手の言葉、追跡手段を失くしたことが事実であるなら目さえ暗ましてしまえば逃げられる機会はあると。
 余裕に満ちた傲慢な相手だからこそ勝算は高いと。

 結果、夏藻の気配から遠ざかるのを感じ、シミテールは嗤う。
 森という地形をいかし空からの追跡を逃れ、身を潜める。あとはそれだけだと。

『見事、逃げ遂せとでも?』
 声に対してシミテールは辺りを見回す。そこに探す姿はなく、気配もまた動いた様子はなく、そこにあるままに感じることができた。
 そんなことを知ってか知らずか、声はいう。
『探す必要はないぞ。ここでどれだけ逃げようと意味はない。それでも終わりが来るまでそのまま走り続けるといい』

 その言葉を合図とするようにシミテールの意識に靄がかかる。
 それでも蛇の身は逃げ続ける。それこそ止まった時こそが終わりだと、気配から逃げるように、声から逃げるように。ただ、ただ逃げるために逃げ続けることになったとしても――

 

『逃げられると面倒と……軽い幻視であったが、こうも効いてしまうとはな』
 望外の効果にしみじみと夏藻は、幻惑に落ちたシミテールを摘み上げて揺らす。
 このまま握りつぶせば事は終わる。それだけで十分のはずであったが、ふと視線を感じそちらを向く。

 目が合ったのは泉で水を飲んでいた童。
 人に羽の姿を見ても物怖じすることがないのは幼いためか。また、どちらかと言えば童の興味は夏藻の手の中、蛇のほうへと注がれていた。
『ふむ……』と開きかけた口を夏藻は一度閉じる。そして、今までの経緯をじっと見るだけであった童ときちんと目線を合わせるべく膝を曲げて腰を低くした。
「そこな小童(こわらべ)。コレが欲しいのか?」
 釣り餌のように童の前に垂らす。
 すると童は一度頷き、手を伸ばす。動きに合わせて夏藻が少しだけ手の位置を上げることで童の手は空を掴む。位置を変え手の届く場所にまた垂らして見せれば、童が喰いつく。
 そんなやり取りを二度三度と繰り返すと、夏藻はもう一度言う。
「コレが欲しいのか?」
 童の前にもう一度垂らされた。が、手を伸ばすことなく童は夏藻の目を見て何度も頷いてみせた。
 そんな童を見て、夏藻は満足した笑みを浮かべて童の頭に手を伸ばす。
「よしよし、ちゃんとこちらの反応を待ったな。ならば褒美をやらねばな。そうだな、ああ、こやつも人を食い物にしたのだ。自分が食い物にされたとしても文句もいえんだろうさ」
 夏藻の手の動きにされるがままで、言葉の意味には首を傾げていたがやがて手渡された蛇に破顔した。

「さて、帰るとしようか」
 途中、何度か振り返って手を振る童の姿を見送ると、その場に人の姿はなく陽が差し込む空に大鴉が舞った。 

お試しSS 八幕(fol)

  • 03.03
  • 2013

 シミテールの思考に空白ができた。
「――は」
 吐き出したのか吸い込んだのか、紡いだのは息ともつかぬ擦れたもの。 
 人である。そう告げられた言の葉は場の根底を覆すものであると解し、また疑問する。
 正体を見破った訳でもなく、安全を脅かすであろう『建前』を自ら明かしたのだ。
 視線の先、正面に対する八夜に気負ったものはない。今、この時も変わりなく会話が続いているのだと態度で示し、次の動きを待ちわびるかの如く口を閉ざしていた。

 暫しの沈黙。まるで大げさに反応した己こそが失敗であったかのような空気。闇に浮かぶ眼のひとつを塞いで言葉の意

味を吟味する。そうしてゆっくりと空気を取り込み、蛇の口で、
『これは……面白い冗談を。人を食った、話し方こそ我らには相応しいか』
 落ち着きを取り戻すよう人の体と共に哄笑した。
「冗談ではありませんよ?」
 八夜は涼しい顔のまま人の言葉でさらりと流した。
 ゆえに蛇の舌先、喜の感情は若干の笑みを残して怪訝なものへと強張らせる。
『匂いは同族、しかも妖異(われら)の言葉を解するのにか?』
「あなたという、人に紛れる妖異がいるのです。逆もまたありえませんか? 例えば、妖異が気まぐれに人の赤子を育てた、そういうことだってあるかもしれませんよ」
 その返答、嘘でも冗談でもないと語る瞳を睨み返すという行為を以って胡乱な空気は方向性を得た。
 疑念は不信に、警戒は悪意に、肌にひりつくものへと変貌する。

 ただ同時、問いも生まれていた。
『伊達か酔狂か。ただの人であるならこの状況、如何にするするつもりだ?』
 なんらかの切り札があるのかもしれない。しかし人を利用する妖異として状況的有利からか、余裕の表情へと変えてシミテールは問う。
 自身が人ひとりに劣ると見られたのならば、それは軽く見積もられたと憤るべきであったが根本は純粋な興味であったかもしれない。自ら罠に飛び込んだ人間だとするならば、何故?
 人の中で生きる妖異であるからこその疑問。ただ人を喰らう魍魎であったなら意識する必要もない些細なこと。
 意趣返しと、シミテールは八夜の返答を待つように睨みを利かせた。

 

「逆上はしませんか」
 八夜は思ったままを口にして肩の力を抜いてみせた。
『しないと判断しての振る舞いだろう』
 注意深くと差し向けられる害意に正面から平然と対し、八夜は心の中で残念を思う。
 いきなり襲いはしませんでしたか。
 怒りに駆られ直情をしてくれれば逃げるだけでよかったのに。そんな手は使えなくなった、と。

 シミテールという妖異の恐ろしさは大勢の死体を操ることよりも、知略謀略を用いた時にあると八夜は考えていた。
 真新しい死体、それも損壊がなければ人同然。忍び入るには蛇の身がある。どんな賢君忠臣であろうとも中身を代えられてしまっては意味もなく。下剋上の世であればこそ裏切りも易く成立し、疑心暗鬼はさらなる不安を呼び込んで人の世を切り崩して行くことだろう。
 だからこそ討てる機会を逃す手はなく。シミテールがこの夜、闇に消えぬようにと八夜は自らに平静を課す。自然、漏れ出る懼れを握っていた鉄砲へとより力を込めることで紛らわせていた。
 弾も込められておらず武器としての役に立つ訳ではなかったが、相対することへの恐怖を和らげることには成功していると内心で自嘲して状況を確認する。

 相手の睨みは鋭くとも動く気配は感じられない。
 道すがらのみだが目立つ腐臭はなかった。こうして膠着する以上すぐに出せる手勢がシミテールにはない。
 一対一となれば、ほぼ人と人の争いと変わらず逃げに徹するだけなら問題はなかった。

 まずは、成功でしょうか。
 言葉を飲み込み息を抜く。すべては仮定。安心には程遠いと、そして問題は解決した訳ではなく気は抜けないと押し黙れば、
『もうひとりの人間が助けに来るとでも?』
「どうでしょう。それに貴方のほうが詳しいでしょう?」
 言葉の後、蛇の眼が微かに歪んだのを八夜は確かに見た。そうして口の中で強気を形作る。
「もしも、仮に、ですが。貴方はこの国で普通に生きる心算はありませんか?」

 ほう、と興を持った声が零れる。そして矢継ぎ早に、
『同情か? それとも、人間風情が勝った心算で見下しているのか』
 シミテールの言葉に八夜は違うと首を振る。
「いいえ。この言は純粋に興味からです。妖異というものは人と違い自由なようでいて型に嵌るものだと思っています。話の限りではありますが貴方はどうにも怨嗟や執念めいた感情が原理なのでしょうが、それらを忘れてこの国の野に根付くことできませんか?」

『面白い話だが、ただしそこまでだ。結局それはどこまで行ったとしても時間稼ぎでしかないわけだ。なら――」

 言葉が区切られ瞬間、八夜は見た。双頭の蛇の持つ四つの眼に動きが宿るのを。
 意図と直感、両者はじかれたように動き出す。
 シミテールは行灯を手繰り寄せると、互いを仕切る机を八夜のほうへと蹴倒した。対する八夜は抑える動きから逃げるべく後ろへ飛び退く。
 後退する勢いは素早く減衰しない八夜は鉄砲を積んだ箱の山をも押し払い部屋の壁へと背中を当てた。
 箱が崩れ中身を吐き出して室内に荒々しく音が転がる。
 そんな中、八夜と反対側から小気味良く小さな音が跳ねた。それを合図と両者構える。
 シミテールは片手、銃として鉄砲を。
 八夜は両手、棒のようにして鉄砲を。
『それは何かな。新しい使い方かね?』
「せめてもの抵抗と笑ってくれますか、それとも堂に入ってますか」
『なら苦し紛れと信じようか』
「そちらこそ、弾は込められているんですか?」
『お互い、余裕はないようだな。可能であれば生け捕りがよかったのだがな』
 言う蛇は舌で舐めるように笑み、鉄砲から伸びた火縄を行灯の中へと垂らした。
 縄に染み込んだ油を食むようにゆっくりと火が這い上がり、大きく静か確かに揺れる。
 十分に火が昇り引き金を引くまでの僅かな間、八夜は自らの胴を捉えた砲口を覗くも意識は目ではなく耳にあった。
 死を覚悟でもなく、神に祈るでもなく。ただ耳を澄ませ――
 そして声を聴く。流れる風に乗った小さな小さな言霊を。

 

 炸裂したのは耳をつんざく火薬の嘶き。
 砲身から弾丸は真っ直ぐに発射され、天井を見事に射抜いた。

『なっ!?』
 鉄砲は未だに八夜を捉えておりシミテールは驚きの表情のまま気づく。
 ありえない弾道、その現象。常軌と異なるそれでいて明確な力の摂理。
 己とは異なる妖異が介入した証を。
 認識と同時、シミテールの、崩れた人の面相が苦渋が浮かび走り出す。

 判断は迷いなく瞬時に行われた。不利を悟って一目散に、唯一の出入り口へ走る。
 戸の木枠を掴み自らの体を牽引する、そんなシミテールの知覚がひとつの足音を拾う。
 こちらに近づいてくる飛ぶような靴音。
 間近と気づいたときシミテールは目前、闇から浮かび上がる白刃を見た。

 

 鎧袖一触。
 血風を撒き散らせて人の首が勢いのままに室内へとその身を戻す。
「またつまらぬものを、って、こいつ誰? 顔が半壊してるもんだから思わず振るっちまったが」
 抜き身の刀を構えた状態で悪びれることなく、説明を求めるようにして八夜へ視線を向けていた。
「常茂殿……」
「おう、どうした?」
 安堵からか思わず呟いた名に威勢の良い返事が返る。その力強さに押され八夜は驚きを脱して冷静に必要な言葉を繋げた。
「頭部の蛇を、それが妖異の本体です!」
 転がり漏れた行灯に照らされる一匹の蛇、人の頭部から逃げだそうとしていた。
 常茂は快諾ひとつ。振るう一刀のもとにあっけなく、地を這う蛇は討ち果たされた。

お試しSS 七幕(fol)

  • 01.20
  • 2013

 暗い室内に明かりが灯る。行灯(あんどん)の朧な光に照らされて、不規則に二つの影が揺らめく。八夜とシミテールだ。ここは村から離れた場所に存在した小砦その内部。砦というように飾り気を一切排除した殺風景な中、二人の間ある行灯を載せた机を除けば薄く作られた木箱が規則正しく積まれている。
 八夜は、部屋の印象を何かの倉庫かと思いながら、意識は小砦の造りのひとつである高い天井の一角へと向けていた。
 明かりが届かず木目も見えない薄暗い中、見つけたのはひと筋の月灯り。屋根の梁に開いた穴からうっすらと差し込み影を照らしていた。意図的な採光ではなく穴周辺が所々風雨で傷んでるようであった。そんな歳月を感じさせる箇所を見て、少なくともシミテールの仕業でないことを悟り、八夜は安堵の息を短く吐いて考えを切り替えた。

 一朝一夕にできたものでない、そんな事実から推測するのは前からこの砦が存在したという確証。そこで別の疑問があらわになる、ならば誰が用意したものなのか。狩猟のための小屋にしては些か物々しく、そんな雰囲気を表したように漂った臭いを八夜は嗅ぎ取っていた。
『どうにも臭いますね』
 八夜は、行灯の中で燃焼する菜種油が燃える臭いとは別種、刺激臭に近いものを感じて顔をしかめた。
『さすがに判るか。まあ何も隠す理由はない。手近な箱を開けてみるといい』
 言われ八夜は、警戒を崩さぬようにとシミテールを視界の端に置いたまま近くの箱を選んだ。
 薄く横に広い長方形の木箱。刀剣類でも収めるような代物であったが、手にした重さはその想像よりも軽かった。封のようなものはなされず、上蓋となる部分をずらすだけで中の物を手にすることができた。

 左右の手には異なる感触。木の滑りと鉄の冷たい重み。筒状の矩形、象嵌(ぞういん)や飾りは見られず、砲口の周囲は六角の形をしていた。作りにおいて細工や装飾は見当たらず、実用性や頑丈さ主とした鉄砲――
『これは……国友銃ですね』
『ほう。その銃には銘があるのか?』
 八夜は、はい、と答えて銃身を指でなぞった。国内の鉄砲すべてを見聞きしたわけではなかったが、特徴から表される輪郭から得た確信は、ここ近江国の領内国友において生産される鉄砲であったからである。
 火縄には油が塗られており湿気た様子はなく。火蓋を開いて着火用の火薬が存在するか覗いてみれば、火皿は汚れひとつない綺麗なもので八夜は首を傾げた。
『使用された形跡はありませんが、戦時のように備えはある』
 おそらくこの部屋に無数に積み上げられた箱の中身はすべて同じなのであろう。見渡し納得してかそう確かに口にする。そして視線そのままでもの問いたげにシミテールを見た。

『その様子からして、こちらが用意した物でないことは解っているな?』
 八夜は無言のままに肯定を示す。ならば可能性は――
『そう、始めから存在した。村から離れているとはいえ、こんな風に隠していればそう見つかるものでもない。現に私も偶然、この体の記憶を探っていた時にようやく見つけたのだからな』
 シミテールは自信に満ち満ちた笑みをこぼす。それこそ天の采配だと言わんばかりに。
『狩猟が目的にしては些か多いだろうな。それと察した通り、十分に使用できる火薬も他に保管されているよ』
 そして、この村に大量の鉄砲を造る鍛冶場はない。八夜は昼の調べ物を思い出してひとつの仮定に行き当たる。
『なら、つまりはそういうこと、ですか』
『単純に使うためだろうな、ああ、理解しているよ。言葉や文化は違えど人が群れて集まれば衝突は自然と増える、動乱であればなお。行き着く先は暴力と判りやすくて楽だな』
『そうですね。反乱、謀反――まあこの場合、一揆と言ったほうが近いでしょう』
 もとより近江国ではそういった気配が強い。記録を紐解けば九十年以上も前からそうした騒乱は起きているし、付け加えるならば現状、他大名家と並びに八夜の主が仕える大殿と政治的に敵対する勢力として数えられるほど手を焼いていた。
『まあ、そうした人間の事情など我らにとってみれば都合良いことでしかない。争いの種は私にとって餌も同然、そんなわけだ』
 シミテールはその先を作り出すように言葉を溜めて静かに、
『だから――そろそろ返答を頂戴しようか』

(さて、こっちは……といった様子ですが、夏藻と常茂殿のほうはどうでしょうかね)
 そんなことを気に留めながら八夜は最後の問いを喉で作った。



「はぁぁ――っくしょい! ったく……こりゃ誰か噂でもしてんのかね」
 女性だろう、根拠もなくそう断定しながら常茂は盛大なくしゃみの木霊に混ぜて鼻をすすった。
「それよりもさて」
 その間も常茂は動きを止めることなく駆けていた。戻した表情から僅かに滲むのは焦りの色。視線は前を向かず、上方へ。枝や葉の影から零れる暗い夜空よりも黒い大烏を追っていた。
 夜を裂いて空を行く黒い翼の持ち主は夏藻。そのくちばしには白黒混じりの塩の塊をひと欠けらほど咥えている。そしてその色は刻々と黒に染まりつつあった。
 八夜が消えたという状況に気づけたのは夏藻の働きによるものだった。虫の知らせとでもいうよう突如、常茂の頭を突っついて野営の場所まで追い立てるように先導し、今もまた常茂の懐より奪うように塩の塊の一部をかじり取っていた。
 あの場に残っていたのは槍と焚き火。争った痕跡もなく八夜の姿だけが神隠しにあったように失せていた。最初は用を足しにでも行ったのかと思った常茂であったが、夏藻の行動により結果が逆になったのだと己の失敗を自覚した。

 妖異から見た脅威として、動死体の数を減らし邪魔をしているであろう己こそが標的となる。そうした自信から次善の策を用意しなかったわけだが、常茂は苦笑して手にある槍の柄を強く握った。使用された形跡もなく、また火も消されてはいなかったことからおそらく八夜は無事なのだろう。隠れたのか捕まったのか、前者であれば気は楽になるが失態の言い訳にはなるまい。後者にしても、いつまでも生かしておくなどということはあるまいと。どちらにせよ楽観も後悔も今するべきではない、と息を大きく取り込むと一層足を速めた。

 安全確認と夏藻の動きを追う傍らで先の道を確認する常茂の目が、いくつもの小さな火種を捉えた。
 先に何かがあるという確証に口の端を弓なりにしたが、火種が明かりでないことを――合戦で見かける黒い煙が上がるのを視認して驚きに大口を見せた。しかし足を止めることなく身を低く屈めて槍を構えた。

 そして、唸るような鉄の号哭が高く響き渡った。



『お話はわかりました。それではもうひとつだけ質問を、いえ、交渉において当たり前のことを指摘させてください』
 八夜は涼しげにそう言い放ち、対するシミテールは内容をかみ締めるように渋面をみせる。
『ほう、何かな? 隠し立てしたつもりはないのだがね』
『なんとも簡単なことです、貴方の姿を見ていません。その体、人のものですよね』
 代理を立てる、なんてことは人らしい小細工ですよと八夜は言い、その通りだと自身の人臭さにシミテールは右手で目元を隠し、口を大きく開けて笑う。
『なるほど、なるほど。それは失礼をした……これからパートナーとなる相手に皮を被ったままとは礼を失しているな』
 言って右の手が右目の上なるように置き、拳を作る。ただ握るのではなく顔へとめり込む。あきらかな自傷であったが苦痛を感じないのか笑みのまま気色の悪い水音を立てて指を沈ませた。
『こうするのが一番だろう』
 握っていた拳は手のひらを確めさせるように机の上に置かれる。開かれた手の中には人の目玉。
 八夜は一瞥すると眉も動かさぬまま、すぐさまシミテール当人へと視線を戻すと抉れた顔の右側、潰れ開いた孔からは吹き出た血以外の存在、血濡れの蛇と目を合わせた。
『お初にお目にかかる、とでも言ったほうがいいか?』
 細い細い糸のような蛇は自らの体をくねらせて喉を鳴らした。
『ははっ、ありがとうございます。しかし……複数の死体を操ることを考えると複数いるので?』
『心配する必要はないし、そこまで礼儀知らずでもない。私は一人だけだ、身を割って他にとり憑かせることならできるがな』
 シミテールの本体となる蛇が血を払うように身を震わせると、ひとつであった頭部が裂けて同じ形を二つ取り、二又の蛇と化した。
『あとはこのまま続ければ、ひとつがふたつに、ふたつがよっつという具合に分け身が出来上がるというわけだ』
『個であり群である……ですか、まるで神さまのようですね』
『そうか? 神と妖異の呼び方の違いなど人にとって益があるか害があるかの違いだろう。しかし、神は唯一無二。それがこちらでの主な教えであったのだが、なんとも皮肉めいて聞こえるな』
 互いに静かに笑い、沈黙を少しだけ味わうように尊ぶと、
『では、いいかね?』
 同意を促すシミテールの言。八夜はそれを手で遮り、否定の意でもなく小さく首を振る。
『いいえ、折角です。貴方が秘密を晒してくださったのです。私のほうからもひとつ、秘密を打ち明けましょう』
 答えをはぐらかされたことよりも、八夜が話そうとする内容が自身と同種であろうと嗅ぎ取り、続きを促すように口をつぐんだ。
 それを確認してから八夜はそれまでの会話と同じ空気で事も無げに、
「じつは私、人間なんですよ」
 妖異の言葉ではなく人の言葉で、はっきりとそう口にした。

お試しSS 六幕(fol)

  • 10.14
  • 2012

「うひゃっほーいッッ!」
 夜の静けさを打ち消すように喜色を帯びた男の声が木霊する。
 あとに続いたのは飛沫をあげて弾ける水と大音。
 衣服を身に着けたまま飛び込み、満喫する様子は童子がはしゃぐのと何ら変わりなかった。

 幾つかの沢より流れ込んで自然に形成された小さな池。 
 水の痕跡を見つけ、枯れた河川を下へ降ることでようやく見つけた水場で彼、常茂はかの村での偵察を終えて有限実行に移していた。

 そうして享楽と水遊びに耽るついでと飲み水としても使えると判断し、当面の水に困らないと安堵していた。
「さて、どうしたもんかね」
 唯一といってよい明かり、空に浮かぶ欠けた月を見上げて呟く。
 水によっていくらか流れたとはいえ常茂の体と衣服には、八夜と別れたとき以上に朱を深く染めていた。

 原因は返り血。
 目的は偵察を兼ねた妖異への挑発。
 村へと近づき、村人であったであろう者たちの行動を計りまた可能であれば五体をはねて結果を計っていた。
 そんな偵察の内容を頭の中で取りまとめながら、まんじりと考える。

 黄泉還ったように動き出した人々。死人は村を縄張りとするようにそれ以上の深追いをしない。反面、持ち場のような概念もないのか不規則に動きあるいは棒立ちであった。
 腕足がなくてもにじり寄る様は怖気も覚えるが、無手でもなければあれに対抗するのは武技に疎いものでも可能であろうと目算した上で周囲の暗がりへ目配せをする。

 死人が元々そういった習性なのだろうと無理やりに納得できたとしても、夜という妖異にとっての好機において目標の姿が見えなかったことが腑に落ちず水面をついと撫でる。

 丸腰ではないとはいえ、ひと一人。夜の暗がりを歩いたところで気配らしいものもなく。
 通常であれば幸いと手を合わせて拝むところなのだろう。

 しかし現実、常茂は妖異を討ち果たすためにいる。
 異国の妖異だから毛色が違うなどという考えも、死人が墓を這い出し動くなどという起こりが起きていることに対して辻褄が合わなかった。

「ああ、だめだ……こりゃ」
 どう辻褄が合わなかったとしても起きた現在がすべて。
 半ば投げやりに、答えを期待することなく問いかける。

「お前はどう思うよ?」
 視線の先には木々の枝には闇より濃く浮き出た黒の鳥。夏藻がじいっと常茂を観察している様子であった。

 互いに視線でやり取りをすると、常茂は体を起こして結論付ける。
「何やってんだろうな……俺……」



 一方、常茂の気配が遠ざかった頃。
 八夜は勢いが衰えた火の中へ新しい薪をくべていた。
 焚き火の揺らめきに合わせて夜闇がゆらゆらと挙動を変える中、一角だけが微動だにしなかったのを見逃すことはなかった。

「もう、隠れている必要はないですよね?」
 語気はおだやかに、確信をもって闇に呼びかける。
 
 火が爆ぜ散発的に音を鳴らす。
 争う気はないと示すように常茂より渡された槍も手にすることはせず、それでも暗闇の向こう側からは目を離すことはなかった。

『ああ、これは茶番だったか?』
 人の声、壮年の男の喉から発せられたものであったが、明らかに人語とは違う発音が零れる。
 それは妖異が扱う独自の言葉。犬が吠えるように、鳥がさえずるように、彼らが共通として持ちえる言語であった。

 言葉を理解した上で臆することなく八夜は応じる。
『異国の妖異も同じ言葉のようで何よりです。話が通じるのなら、できれば自己紹介をお願いしたいのですが――』

 闇から歩み出たのは一人の男。声のまま年を重ねて壮年の男性。ところどころがほつれや継ぎが見られる麻の着物に服の上からでもわかる体格のよさ。
 その他の特徴などからも、外見は日ノ本の農民であると八夜は見立てる。
 むろん見たままを受け入れることはなく。
『その前にひとつ訊ねておきます。南蛮船から始まった騒動はあなたの仕業ですね』

『如何にも。こちらも当たりのようで随分と楽をさせてもらう』
 八夜との距離を保ったまま僥倖だと楽しげに口元を曲げる。
『楽……ですか?』

『この国の妖異を探す手間がな。こちらも一つ返させて貰おう。どうして人間と一緒に行動している?』
『おかしいですか? 異国では協力関係にある場所も多いと人づてに聞いていますが』
 新しい薪を棒切れのように持ち、八夜は問う。
『おかしいさ。それはこちら側のことで、この国の人間と妖異は距離をおいているはずだからだ』
『なるほど。まあ……それは故あってのこととしか』
 言いよどむ言葉にしばしの逡巡。すると妖異の男は一人思いついたように。
『そうか。人に紛れる類の妖異か』

『だとしたら期待外れでしょうか?』
『いいや、むしろ運が良い』
 言葉を切ると八夜の隣まで歩み寄る。火に照らされたその血色が悪く死人のそれに近く腐臭を薄く放っていた。
『この場ではあの人間が戻ってくる。できれば場所を替えたいのだが?』
『もし、断る、と言ったら?』
 妖異の男は、つぃと目元を細ませて無言で見下ろす。
「いずれ気づくとは思うのですが……はてさて」
 小声で呟いてから、観念したように両手を小さくあげ了解を表して名乗る。
『八夜と申します。それで、なんとお呼びすれば?』
『……シミテールだ。ついて来い』



『それで、どこへ向かっているのですか?』
 シミテールの先導で道なき道を歩いていた。
 夜半の暗がりを照らす月も今では厚い雲に覆われており夜目に慣れた八夜でも、何度か足元を危うくしながらもシミーテルの背を追う他はなかった。それでも歩き出し方角から村とは反対方向だろうと推測をつけて口にした。
『アジトだ。この場合、拠点と言い換えたほうがらしいのか』
 振り向くことなくシミテールは語り、八夜は注意深く相手の様子を探る。
 見る限りでも、足取りは軽く常人の動きと比べても遜色なく、夕刻前に見た死人たちとは動きがまったく違っていた。
『こう殺風景の上に暗くては退屈です。差し支えなければ、先に質問だけでもよろしいでしょうか?』
『なんだ』
『南蛮船での事件についてなのですが、あれ仕組まれたものですね』
『ふむ、目敏いな』
 ただ感心と頷き、道行を邪魔する小枝を手で払いのけた。
『いえ、簡単な話です。事件は昼間に起きたということが引っ掛かりまして』
『続きを頼む』
『はい。南蛮からの航海ということは、あなたは長期間のあいだ船に潜んでいたことになります。それだけ隠れおおせたのにどうして見つかったのか。偶然というのは馬鹿にできませんから……詰めが甘かった、でもよいのですが気になりまして』
 相手に見えなくとも腕を組み、空を見上げた。いまだ曇天の空。風も感じぬ夜のままならぬさに苦笑していた。
『考えの通り謀ったことだ。私との繋がりを消そうという彼らの浅い考えよ。まあ、本来の形にはならなかったがな』
『本来の形?』
 シミテールの背に僅かな陰の気を感じて、八夜は疑問を深くする。
『共同墓地で死んでいたホランドの人間が居ただろう?』
『ほらんど……というと、オランダ。紅毛人ですか』
 異国の人間の見分けは難しいと、八夜は小さく笑って誤魔化す。

『この度のことは彼らの企みだっただけのこと』
『――しかし、あなたは裏切った、ので』
『ああ、そうなる。とはいえ彼らとは友誼の仲ではなかったのさ。私は妖異ではあったが彼らの戦奴でしかない。だというのに、その私と二人だけになって無事でいられるなど浅はかを通り越して間抜けだとは思わないか?』
 シミテールは思い出して笑うように口角を上げて肩を揺らす。

『傑作だろう。その上、彼らの計画も頂くのだから』
『彼らの計画……察するところ日ノ本が巻き込まれるようなことみたいですね』
『君は、この国の情勢に詳しいかね?』
『どことどこが戦をしているとかならば少々』
『では疑問に思ったことはないかね、この国には銃が多すぎると』
『鉄砲ですか、しかしそれならば我らに教えた異国のほうが優勢なのでは?』
『ふむ。やはり異常だということに気づいていないのか』

 鉄砲伝来より約三十五年、この短い間に日ノ本の鉄砲の総数だけならば異国の列強とも比肩できる数を誇っていた。そしてそれは戦乱の続く世において減ることはなく、今も着実に増え続けている。
『つまり、この小さな島国は統一すらなされていないにも関わらず、火力という話だけなら他国と戦争を行えるだけの力があるということだ』
『そこであなたの力ですか』

 原理不明の死人を操る力。身体能力に関しては劣っているが、単純な動作であるならば。そして鉄砲の撃ち合いのみならあの耐久力は長所となる。おまけに相手を殺せば、また兵が自然と補充できる形となる。個ではなく群として用いるならば机上とはいえ、これほど効率のよい軍隊もないだろう。
「だが私はこの国の事情に疎い。地理もままならぬのでね、協力者が欲しかったのさ』

 そこでようやく、シミテールが足を止め振り返った。その背後には暗がりで詳細はわからなかったが小規模の砦のようにみえた。

お試しSS 五幕(fol)

  • 09.09
  • 2012


 常茂は手にしている刀を相手へと突き出し構えを取る。
「さて、弁解するなら今の内だが」
 よほどの狂人、さもなくば盲目でもなければ弁が先立つであろう状況。
 例え見てくれがおかしくとも、風体は人で丸腰。それも領国の民であることを踏まえての最後通告。故に、いかな鈍重な感覚の持ち主でも気づくような明白な敵意を乗せて脅しや冗談ではないことを告げる。

 間合いはすでに常茂が踏み出せば刃が届く距離。
 明瞭な返答はなく、人と思しき者達はただ虚ろに歩み続ける。

「ああ、そうかよ」
 常茂は苛立ち混じりに言葉を吐き捨て斬ることを決める。
 武威、有名のためと妖異と対することは望んだことであったが、相手は敵意も脅威も感じさせない動く案山子にしか感じられず。仮にもう少しでも人外らしくあったならこんな苦労もない。
 そんな感傷を抱きながら、それでも最低限の警戒として相手の動きをもう一度読み直すべく注意をする。

 立ち止まるわけでも言葉を解するでもなく男達はもう一歩足を進めて、常茂の間合いへと気に留めるでもなく侵入した。
 先を歩く男の足取りは危うく。ふらふらと首が据わっていないように頭部を揺らすと、後ろから続いてた男と衝突し、顔から糸引く粘質を帯びたものぽとりと落ちた。
 水音を含んで男の足元を転がる丸い小さな球体は光彩を返すことのない人の目玉であることを常茂が確認するともつれていた男達の足がとんと踏み潰した。

 同時、その異常の知覚と合わせて常茂は極めて人間的な嫌悪を瞬間に奔らせて刀を繰る。
 風を切る音と共に、下から上に流れるように逆袈裟へと斬り込む剣筋。
 軌道を乗せたよう血が飛び散り、それらは常茂も避けようなく浴びていた。
 合戦で人を斬った時と同じ血であると自覚しながらも、生きているという熱のない、ただ液体であるだけの水のような血に、武人としての感情はなく。
 これまでの研鑽を物語る一閃に斬られた男は痛みの声を上げることなく。濁った血色が染み出した胸から上、上半身がその勢いに巻かれ落ちて転がる。下半身は痙攣したかと思えば膝から崩れ落ちた。
 あとに残るのは刃に付着した血の露が滴り、常茂はそのまま次へと動き出す。
「はあああっっ!」
 間髪入れず残ったもう一人へ、左に構えた金砕棒で薙ぎ払うように男の腹へと力任せに打ち据える。
 甲冑すらまとわぬ腹部への一撃にも相手は苦痛を見せることはなく、くぐもった調子の声を上げて受けた一撃の重みそのままに地面へと仰向けに倒すと、その状態から腹に当てた金砕棒に力を込めて押し当て、起き上がろうともがく男の動きを阻害する。

「悪く思うなよ」
 目に血が入り込まぬようにと腕で拭い。
 元が人だとしても、例え人の形をしていようと躊躇することなく。とどめとして倒れた相手の腹へ刀を突き立てる。
 しかし肝心の刺された男は、何一つ変わらずに起き上がろうと、傷口から血が溢れることも意に介さず、赤子のように手足を動くようにむやみやたらと動かし続ける。
「おい……八夜、こいつらのこと何かわかるか!?」
 流石に気味が悪いと、常茂は相手の動きを見定めながら八夜へと問う。
 相手の技量も行動も、武の修練を収めている常茂にとって脅威と成り得ないのだが、死を恐れないのではなく、死ぬことを頓着しない。まるで作り物のような人の通じえない不気味さを感じていた。

「常茂殿!? 足元に! まだ動いています」
 常茂とは違う方角を見ていた八夜は苦々しく叫ぶ。

 常茂は思いつく限りで判断し、今押さえている男が足を払おうとしているのだと注意して下を向けば、ぞわりとした体感の抜けた冷たい感触がまとわりついたことに気づかされる。
 己の足を握るのは、先ほど斬り飛ばし足元に転がした男の上半身。胸から下は汚濁のような血を漏らしてなお追いすがるように這いよる。

「出鱈目にもほどがあるだろうがっ!」
 体温を奪われるような冷たい手に掴まれる不快感に総毛立ちになりそうなるのを一喝して、振り上げていた刀の矛先を掴む男の手首へと変えて薙ぎ払う。
 そして斬ると同時に距離を取るべく大きく後ろに跳び退る。
 着地の衝撃か、掴んでいた手のひらは常茂の足元に落ちてその後動く気配は見せなかったことで、安堵で呼吸を整えながら八夜と合流する。 

「こいつら不死身なのか、八夜?」
「それはないはずです。この妖異にとり憑かれた異人二人は、対した外傷もなく死んでいたのですから」
「なら、違うやつってことはないのか?」
 常茂の言葉に八夜は首を横に振る。
「この手の妖異がそうそういるとは思いたくないですがね……どうでしょう。それぞれで異なるのが妖異です。あっさりと死ぬ者も居れば、首を斬っても死なぬ者も」
「首ね……首落としても動いたんなら眉唾だと思ってた将門公の話も事実なのかもな」
「それはそれで興味深くはありますが――ですが、動く死体と動かなくなった死体。どういうことでしょうか?」
 視線は迫る骸の一挙手を観察しながら八夜は首を傾げ、その右肩に乗った夏藻も真似た様子で頭部を傾げていた。 

「今、考えることか……しかしどうすりゃ動かなくなるか試してみるか?」
「いえ、やめておきましょう。もう日暮れも近いです。目の前の、そして取り囲んでいるもの一つが脅威でなくとも、この事態を引き起こしている妖異そのものがわからないのでは不利です」
 今、辺りを囲おうとしてる敵の数も不明だが、村の規模から見立てるなら住んでいた人の数は二、三十人ほどで、さらにいつまでの死体がこうして動き出しているのかと考えれば、日が沈むまでに決着をつけることは不可能と判断し。
「退く分には問題なしか、童の足でも逃げられそうだしな」
 胴を切り離した男は這いずり移動をしているがその動きは亀の歩みでしかなく。すでに起き上がった男でさえ歩みに関してはのっそりとしたもので問題は感じられなかった。

「で、どっちに逃げるんだ?」
「この場合は一つでしょう、常茂殿。来た道を引き返しましょう。今宵は村の外れ辺りで拓けた場所が良さそうですね」
「あれだけ遅けりゃ警戒もしやすいわな。まあ、とっととずらかるとしますか」



 時刻は夜。木も草もない荒地ではあったが幸いと夜空の月灯りと八夜が起こした火によって周囲の視界は保たれていた。
 村の入り口が見える小高い丘の上でなら、なだらかな坂の上と言う地の利があるため交代で不寝番を行えば安全に夜を越すことができるだろうとの算段であった。
 肝心の妖異そのものへの警戒が疎かではあったが、日が沈む刻限から今に至る数刻ほど妖異も、その妖異が操る死体もこちらへと手を出す様子は見られなかった。

 常茂は周囲への警戒を終えて焚き火の近くへと腰を下ろしていた。
 手にした手ぬぐいで浴びた血飛沫を落としていたが、愛刀と顔などを拭ききる頃には血で染まりきり、とても着物まで回りそうにはなく不承不承と現状を噛み締めていた。
「ったく、もっとこう草紙のように、すぱんと格好良くとはいかないもんかね……」
 その物言いに八夜は笑い。火が絶えぬように、記録用に持ってきていた雑紙をくべる。
「命あっての物種ですし。まあ、そうしたことに携わる者としましては、そういった紙面では都合の良いことしか言わぬのが華でもあります」
「つまり、今の状況は扱わない、と?」
「有り体に言えば、そうなります」
「何事も前向きに良いことを……ね。そうするか」
 常茂はまだ納得しかねるようであったが、藪を突いてここも書きましょうか、などと言われても面倒だと次の言葉を引っ込めて、腰から短槍と金砕棒を取り出した。

「手入れですか?」
 なんとなしに口をついて出た言葉であったが、常茂は悪戯でもするように口角を上げて上機嫌になる。
「まっ、見てのお楽しみってな」
 言って、慣れた手つきで金砕棒の一番上の金具を数度回転させてから、仕掛けなのか先端からせり上がった指先ほどの金属片を摘み上げて取り出した。そうして出来た空洞に短槍の柄を差込み、今度は逆に金具を回して固定する。
「槍、ですか? それにしても手の込んだ作りと言うか忍びの道具みたいですね」
 素直に感嘆する八夜に気を良くして常茂は頷く。
「ああ、俺の家は伊賀と繋がりがあったからな。そっちの仕込みも色々とな」
「なるほど。それで槍にしたのは何故です?」

 常茂は問いに答えず槍を放り投げて八夜へと渡す。
「これは?」
 八夜は両手で槍の重みを確かめ意図を問う。
「護身用だよ。奴らの様子をもう一度確かめて、ついでにどこかで沢か泉でも見つけてこいつの血を落とそうかとな」
 着物を軽く肌蹴て肩を慣らしと腕を回して立ち上がる。
「わかりました。なら夏藻」
 八夜の声に反応して肩で大人しくしていた夏藻は片羽を広げてひと鳴きすると常茂の肩へと飛び移る。
「おわっ!? ったく。んで、お前は一人で大丈夫か?」
「ええ、もしもの時は一も二もなく逃げ出します。夏藻が入れば合流にはさほど問題もないかと」
「そう言うんなら、信じるしかないか。んじゃ行って来るぜ」
 軽く手を振り闇夜に消えた方角を八夜はしばし見つめていた。

お試しSS 四幕(fol)

  • 08.05
  • 2012

 

 疾く走る。
 二人は、微かに漂う腐臭に手繰り寄せられて土を蹴り駆け抜ける。

 常茂は状況の打破、手掛かりを逃さぬようにとすぐさま抜刀できる姿勢を維持して力強く走っていた。
 そして彼に同調し背を追うように付かず離れずと八夜は距離保っていた。
 周囲への警戒を除けば両者は走ることのみに集中していた。それでも単純な身体の造りでいえば大柄で且つ鍛えている常茂のほうが有利であったが、ここまで両者の距離、速度に大きな差異は見られなかった。

 そのことに気づいた常茂は少しだけ胸を撫で下ろす気で呼吸を整えた。
 妖異を見つけその手で討つこと。
 護衛の任として八夜を守ること。
 目的と主命。その両天秤が釣り合っていることに僅かながら安堵した。
 そして、目測が得た情報を吟味するようゆっくりと減速して足を止める。
「見えたな。どうする?」
「まずは臭いの原因……と、これは」

 二人の視界の先には、申し訳ない程度の簡素な竹柵で四方を囲まれた土地、墓地の入り口が見える。
 ここも村同様に周辺の自然は荒れ果てており、野ざらしに男の亡骸が倒れ伏していた。
 また、遠目からでもそうと断定可能なまでに腐敗し、何より違和感は。

「異人の装い、肌――などは判別がつきませんが……」
 八夜は死体を見下ろしたまま言葉を切り、吟味し思案をする。
 目算、妖異が化けていると考えた人物は、にべもなく屍骸を晒している。仮に妖異が野垂れ死にしたと楽観することはできるはずもなく。
 常茂は周囲を警戒してから遺体を見下ろし、感想として喉元に留めず口を開く。

「外傷はないように見えるんだが……逃げた異人がこいつだとしたら、妖異ってのは虚言だったのか?」

「どうでしょうか。目撃者がいたことを踏まえれば人数に関して嘘はなかったと思います。人相に関してはこの通り原型も確認のしようがありません。もし、この異人が別件の別の人物というのであれば、話も変わってきますけど」
 それこそ楽観がすぎるものとして八夜は一笑して表情を締め直すと、両の手を合わせ死者への敬意と短く拝んだ。

「まずは出来ることから調べましょう、常茂殿。塩の塊、まだ持っていますよね?」
「食うわけないだろ、ほら」
 八夜の言葉に常茂は眉を浮かせながらも布袋を八夜へと寄こす。
「中から出してくれ。白い包みが岩塩だが……何に使うんだ?」
「それは、常茂殿が想定していてくれた通りに」

 袋から白い布包みを取り出すと手のひらに乗せ、折り重なる布地を解きほぐして中身を検める
「なっ……!? こりゃあ……」
 驚きの声をあげたのは常茂。見たものが信じられないと、八夜に説明を求める。

 落とした視線の先には塩の結晶が形を変えることなく鎮座していた。しかしその色は、元の色である透明に近い白を残しながらも外周部のみであったが全体からすれば約五分の一ほど染めたように黒ずんでいる。
 元より魔除けとして購入したものであったと思いながらも常茂は釈然としない思いで首を傾げる。
「俺の想定って……訳がわからんのだが八夜?」
 苦虫を噛み潰し警戒さえしていなければ頭を掻き毟りたそうな表情を浮かべると、八夜の肩で大人しくしていた夏藻が短く鳴き、八夜はその物言いを受け取ったのか苦笑して。
「そうですね、一つずつ順を追っていきましょう。ではまず……どうしてこの塩が黒ずんだがはわかりますか?」

「そりゃあれだろ、穢れってやつだ。こんな……っていったら悪いのはわかってるが人が大勢死んだ村なんだ、陰陽師やら坊さんいうところの良くないものってのが溜まっていたんだろう?」
 常茂の回答に八夜は笑み頷き、言葉を継ぐ。
「だいたいそんな感じです。ただ、人の死というものは色々ではありますが通常、こんな風に黒ずむほどではありません。仮になる状況があるのだとしたら、それは怨霊、幽霊、化生――、一部の妖異とされるモノが生まれてしまうほど強力なものでしょう」

 この国における穢れとは本来、人の世に存在してはいけない歪みを指していた。死に入った人間の苦や情念、この世に留まり続けてまで世の理を曲げる不条理。そうして膨らんだ穢れはいつしか顕現し形を成す。
 とはいえ、妖異全てが、また存在そのものが穢れに繋がるわけでもなく。その力の発露、もしくは害意によって無意識に流出させる痕跡のようなものであった。

「なら黒くなった以上、そうした強力なのを吸った……結論として元凶である力を使った妖異は必ずいると?」
「ええ。その正体に関してはわかりませんが、そこは間違いないかと」

 状況として手掛かりとなるのは目下にある遺体。
 疑いだけならば、息を潜めた妖異かもしれない。
 妖異に決まった形も在り方はない。八夜は肝を据えるように気を吐き。

「何かあった時は頼みますよ」
「わかった。任せとけ」
 軽く吐いた言葉が言い終えるか否かに、常茂は鞘走りの音をゆっくりと鳴らして白刃を掲げ構える。そして八夜の手は躊躇なく屍骸の衣服を掴み、仰向けになるよう転がした。
 変わらず腐敗した遺体であり、土で汚れていることを除けば目立った外傷は見当たらず開いた口、黄ばんだ歯から粘性を帯び、片目の開いた眼は空洞を晒して反応することも当然なかった。

 八夜が男の検分を始めて暫くすると。
「しかし八夜よう、このままだと俺ってすごい間抜けじゃないか……?」
「えっと……はい、そうなりますね」
 苦笑を交えて頬を掻く八夜。必要な事態とはいえ傍から見たらのなら物盗りや強盗の類にもで間違えられても弁解はできないだろうと肩を落とす。
「妖異の手掛かりといえる目ぼしいものもありませんね。ところで常茂殿、その辺りに目玉は落ちていませんか?」
「目玉ァ?」
 聞き返しに八夜が頷くと、常茂は辺りの地面に視線を流してやがて自らの足元に転がった路傍の石と見紛う大きさの球体を見つける。
「これか?」
 常茂は顎で見つけた球体を指す。八夜は近くに寄ろと屈んで確認をして。
「ええ、これです。動物に食べられてなくて幸いでした」
「目玉……ね。何かあるのか?」
「実は妖異が食べたのかとも思っていました」
「妖異が? なんでまた」
 八夜は片手で自分の片目を覆うようにして話を進める。
「前の被害者も片方目玉がなかったんですよ。腐り落ちた……とも考えましたが、仰向けになった遺体の真下ではなく、離れた場所にある以上何かあるのだろうと」
 もちろん偶然の可能性があることも含み、目玉を抜くことに意味も。

「なんにせよ、この村の遺体も調べてみましょう。仮に男のような状態ならば……」
 考えているためか陰の深くなった八夜の頭をくしゃりと乱して常茂が笑い飛ばす。
「妖怪目玉喰らいってか。まあ盗られないように気をつけておくよ」
「ありがとうございます。では行きますか――」

 八夜の声を遮ったのは羽ばたき。
 弾かれたように飛び上がった夏藻は、なお上空で旋廻を続けながら鳴き声をあげる。

 その声を受け取った八夜はすぐさま反応し。
「常茂殿、警戒を!」
「お、おう!」
 咄嗟の剣幕に面食らいながらも握った刀に再び強い力を込める。空いている手は腰帯の間に差していた金砕棒を抜き、体勢を整え。
「相手のいる方角はわかるか?」
 そうして両手の獲物を構え終えると背中に庇う八夜へと声を飛ばす。
「しばしお待ちを、夏藻!」

 声に応え鳴き声ひとつ羽音。同時に羽を舞わせながら大鴉は定位置へと降り立つ。
「周囲に散りぢり、囲まれていますね。それとどうやら墓を暴く手間が省けたようです」
「そりゃどういう意味だ?」
 八夜に疑問を投げかけたが、返答を待たずに知ることとなる。
 視界に揺れ蠢く人影が現れたことによって。
「予想的中ってことか」
 ひとりごちるように呟きながらも相手の動向を探る。

 遠目には酔っ払った人間の千鳥足にも見えないこともなかったが、足を引きずり歩く地を這うような鈍重な歩み。そして常人在らざる血の気がなくなった青白さを通り越した紫染めの肌。
 両揃いの目玉はどこも見ておらず単調な動きはどこか傀儡を思わせた。
「八夜、他のはまだ見えないなら先に潰すぞ?」
「わかりました。くれぐれもお気をつけて」

 八夜の返答に常茂は自信を漲らせて口を曲げて刀で肩を叩いて見栄を切る。
「はっ! わかってるさ。こっからはこっちの舞台、活躍しかと見届けろよ」

お試しSS 三幕(fol)

  • 07.01
  • 2012

 それは鳴りを潜めて様子を伺っていた。
 それの視線の先には、朽ちた家々の立ち並ぶ小さな村。

 街道から外れ、住む者も絶え訪れるものなど風しかないような辺鄙な場所で、その目はしっかりと姿を捉えていた。人間の形をしたものが二人と鴉が一羽。
 偶然の来訪なのか、それとも――

 気配を探るようにして値踏みをすると、するりと這うようにして地を小さく均した。


「さて、ようやく辿り着いたな……」
 常茂は、特に感慨を込めるでもなく村を見てぽつりと呟いた。

 一見すればこの国においてごく平均的な造りをした村であるのだが……
 建物も、周囲の自然も、飢饉が跋扈した風景は生気のなく閑散と荒れ果てていた。

 草や木を掘り起こし穴の開いた地面。無造作に転がされた大木は樹皮が削ぎ落とされ、根までもと食したのか無造作に千切れてちぢれていた。
 家屋も同様で土壁は削れ、かやぶきの屋根もその体すら成していなかった。
 当然、人の活気などあるはずもなく。いずれも人が飢えに負けて近くにあるものを食い荒らした結果であろう。それらは人々がいなくなった今でも生々しさを感じさせていた。

「か~。わかっているとはいえ――こういう光景ってのは、やだね」
 こういった光景そのものは珍しくないのだが、常茂は殊更に神妙さを帯びて憂いを吐き出す。
 旱魃や不作の影響はもとよりあるが、結局のところこの村が滅んだ理由の大本は、戦のせいなのだ。この国の至るところで戦は当たり前の出来事で、戦に勝つには多くの兵がいる。
 腹が減っては戦はできぬ。その言葉の通り、多くの兵を維持しその力を引き出すのは、無論多くの糧食を必要とし、一回の戦であっても消耗する量というのは莫大で、仮にこれらを飢饉の対策に宛てられていたのなら、この国における飢えによる死者は殆どいなかったであろう。

 と、言い繕ったところでその恩恵に与る者であるため、どうしょうもないやる瀬無さと、思考を切り替えるように周囲へと気を張って見せるた。

「――んでよ、八夜? これからどうするんだ?」
 常茂の隣、常在とばかりに肩へ大鴉を乗せたまま両の手を合わせて小さく祈っていた。
 声に反応して、すっと眼を開き首だけを常茂へと向けると。
「まずは、地道に調査です。夜になれば妖異が現れる可能性もありますが……相手のこともわからない内は、日が落ちる前に村の外で夜を明かす、といったところでしょうか」

「相手の情報を探るか……戦の定石だな」
 得心した常茂を見て、八夜は眉を小さく上げた。
「常茂殿なら妖異を退治するから見ていろと仰るかと思いましたが……」
「……あのなぁ、八夜。俺だって一応は武家の端くれだぞ。まして相手は人間じゃねぇんだ、警戒ぐらいはするさ」
「冗談ですよ、冗談。ではまずは幾つか家屋を調べてみることにしましょう」
 八夜たちは一番近くにある家屋へと足を向けた。

 外観は先の通り荒れ果てていたが、造りからして民家のようであった。しかし戸口は開いたままであり、溝に溜まった土や埃が閉ざす者が帰ることがなかったことを正確に物語っていた。
 中も同じく荒れた時より何も訪れなかったことを確かめるだけに終わり、特に何かが見つかることはなかった。

 そうして三軒目の探索も終わりを迎えようというところで。
「そろそろ俺も手伝おうか、今のところ成果なしだぜ?」
 腰元の刀に手をかけたまま、常茂は退屈を噛み殺すようにして問いかける。
「いえ、できれば常茂殿は警戒に専念して頂きたいです。私では咄嗟に、というのは無理でしょうから」
 破れた障子をそっと引いて八夜は、日陰の部屋を視界に納めてから顔だけを常茂のほうへ向ける。
「わかった。それが俺の役目と割り切ればいいんだな」
 八夜が無言で笑み頷くと、常茂も別段気負うことなく陰影を跨ぐようにして部屋に割り入る。
 姿勢は崩さず、最小の動きで視線だけを周囲へ巡らせて……結果は今までと同じく誰もいないであろうというだけだった。
 常茂が大丈夫だと判断すると、八夜はすぐに部屋に入り手早く周辺の状況を探り始める。

「しかし八夜よう、なりは槍働きに向かないとして旅はしているんだ。少しはできるんじゃないのか?」
 先日の一軒で道中の危機を回避できていたとしても、旅を続けていれば不測の事態なんてものは幾らでも起きるだろう。ならば、何かそれらに対処する術があるはずだと、半ば確信に近い気持ちで疑問を投げかける。

「荒事ならまったくです。そうですね……手段とするなら逃げの一手くらいでしょうか」
 小棚の中に何もないことを確認してから、自分では負けてしまうでしょうからと付け加えて八夜は肩を竦めた。
「その割に……肝は据わっているんだな」
 探る手先の迷いのなさを指摘し、
「まぁ、常茂殿という護衛がいますし、それに――夏藻もいます」

 呆れ混じりだった言葉を、信頼を交え涼やかに返され常茂は面食らう。
「……まぁ、それはそれとして。この鴉がねぇ……」
 室内を隈なく探る八夜の肩上の黒羽へと目を移し値踏みするように目を細めた。
 すると気配に気づいたように夏藻も常茂へとひょいと向き直った。
 自然、視線は交錯するが人ならざるものの瞳から汲み取れるものはなく。結論は変わらず、鴉は鴉。多少、姿形が大きく賢いのだとしても、それ以上の感想は湧かなかった。
「やっぱ、わかんねぇな……これ。だけど……それはこっちも同じだろうからな……」
 常茂は自嘲するように首を振り、実力を示すためにもまだ見ぬ妖異の姿を求めて、穴あきの屋根から顔を覗かせ始めた陽をうらめしそうに見上げた。


 家屋の探索を終えた一行は、村の裏手側へと足を運んでいた。
 向かう先は村の共同墓地とされる場所。事前にこの村を検分した兵士の証言から村人の遺体は、疫を生まぬようにと手厚く葬られたということだった。
 屍骸を操る妖異とするならばその場所こそがもっとも顕著に変化があるだろうと。

「じゃあ、家を調べていたのは人間以外の屍骸を探していたのか?」
「そうです。動物とか虫など、もしかしたらと考えていたのですが……」

 人のいない廃屋は野生の生き物にとっては都合の良い住処であり、この村の人間がいなくなってから経過した時間ならば、根付いていたとしても不思議ではなかった。
 しかし現実は違っていた。

「蜘蛛の巣や動物の糞、いわゆる痕跡を重点的に探ったところ、まだ人がいた頃のものはあっても、真新しい痕跡が見つからりませんでした」
「見つかっていたら何かあったのか?」
「ここに妖異がいない可能性も高くなったかと」

「ほう、どうして?」
「妖異というのは天変地異と似たようなものなんです。地震、火事、大嵐などそういった事象の前触れは、人よりも他の生き物のほうが鋭いですから」
「なるほどね。妖異が騒ぎを起こすなら危うきに近寄らず、か」

 そうこうしている内に、墓地の目印となる木柵が見えると同時に風が吹いた。 

 なんてことはないそよ風に乗った違和感に常茂は足を止め、八夜の行き先を腕で制した。
「……八夜。気をつけろよ。腐臭だ」
 一拍遅れ、八夜も臭気を認め常茂の背後に隠れるようにして位置取る。
 常茂は振り返ることなく音だけでそれを認めると、刀を抜き放ち、警戒を崩すことなく先ほどよりも少しだけ足早に墓地へと駆け出した。

お試しSS 二幕(fol)

  • 05.27
  • 2012

「夏藻(なつも)」
 八夜が空に向けてぽつりと、そう呟いた。
 時はうららかな昼下がり。踏み鳴らされた土道と沿うように広がった草木の街道、その途中。

 平穏という他なく。八夜と常茂の二人は束の間の休息に身を預けていた。
「またあいつを呼んでるのか? って言うか……よくそんな小さな声で届くもんだよな」
 常茂は関心の声で草むらから起き上がり、視線を空に向けた。

「はい、夏藻は耳がよいので」
「耳がいいって問題か……ね。――ぉ、来たきた」

 声に惹かれたように風が吹き抜ける。二人の髪を揺れるなか、上空で陽をひとつの黒点が旋回し次第に大きくなる。その動きに合わせて八夜は右の手を挙げる。
 すると、羽ばたきと共に八夜の右手首に黒い大烏が舞い降りた。
 夏藻はしばし羽を繕うと、くちばしをしゃくり上げて方角を示すと何度か鳴き声を漏らした。

「それで鴉さまは、なんて仰ってるんだ?」
 城を発ってからの数日、何度と行われた光景。八夜は休憩などの合間を利用して夏藻をどこかへと飛ばしていた。自由な時間に行っているのだから、勝手といえばそれまでだが、疑問も積み重ねれば好奇となり訊ねずにはいられなかった。
「この先の道のことを少々。しばらくは安全に進めそうですよ、遠藤殿」

「なるほど、今までのも含めて偵察だったのか。道理で、人っ気のない道なのに追剥の類に出くわさないと思ったぜ。――あと、遠藤殿はやめてないか、正直かたっくるしいぜ」

「堅苦しいですか? では……常茂殿、でいかがでしょうか?」
 意外そうな顔をして目を丸める八夜、思考というほどの間をおかず答えられた問いに対して常茂は鼻を小さく掻いて。

「ま、少しは軽いかな。というか八夜、歳はこっちが上とは言え立場上、お前のほうが偉いんだから、もっと砕けていてもいいんだぞ?」

「お気遣いありがとうございます、常茂殿。しかし、これも性分なので申し訳ありません」
 すまなさそうに八夜は頭を垂れると、逆効果と悟って慌てて困ったように。
「相分かった。しっかし……俺が童の頃なんて、親父ですら殿をつけた覚えはなかったんだぜ」
「それはそれで、どうかと……。重ねて言いますが、人見知りや遠慮のたぐいではないのでご安心を――」

 頃合と言葉を区切って八夜は立ち上がると、その右肩を定位置と夏藻が陣取る。
「では、そろそろ発ちますか」
 常茂も、身の回りを素手で払って土埃を上げると全身を伸び上がらせた。


 再び歩き始めて周囲の景色も代わり映えのしない間もない刻限。他愛のない話をしながら先を行く中、八夜は片手に乾燥した豆を崩したものを乗せて夏藻への食事を与えていた。
「そういえば常茂殿」
「なんだ?」

「その……常茂殿の支度は、合戦に向かうような格好に見受けられますが、今回の妖異に心当たりがあるのですか?」
 常茂の武装は、八夜が見ただけでも黒の拵えをした打刀が一振り。携帯性を重視した朱塗りの短槍。八夜の背丈と同じくらいの長さを持つ金砕棒。服装こそは小袖に袴と略式の軽装であったが小袖の中には帷子を着込んでいた。
 すべて常茂の私物である辺りは、一角の武人として恥じないものであろうが、対人にしては些か用心がすぎることは武技に疎い八夜でもわかることだった。幸いに人がいないため衆目を集めることはなかったが、城下などであったならさぞ浮いていたことであろう。

「いや、知らんけどな。これだけあれば何か一つくらい効き目があっても罰は当たらんぜ。ああ、それと魔除け代わりに岩塩も、重量なんと一貫! 備えあれば憂いなしってな。どうだ、頭使ってるだろう?」
 背負っていた布袋を指して上機嫌に笑むと、杖のように扱っていた金砕棒を片手で軽々と取り回して空を切り定位置の地面へと突き立てた。

「なるほど。お清めの塩……ですか。しかし――、一貫ですか……よく調達できましたね」
 失礼にならぬようにとしながらも、半ば呆れ顔で八夜は呟く。
 常茂はそれを賞賛の声と受け取り、ことさらに機嫌よく頷き。
「海――敦賀(つるが)が近いからな、懇意にしている商人たちから安く調達したのさ。だから護衛は任せとけ」
 我意を得たりという様子でしたり顔を浮かべると、八夜の肩で夏藻が震えるように、くく、と鳴いた。

「この鴉……笑ってねぇか?」
 鴉の声などわかりようもなかったが、それでも勘が告げているとでもいうように常茂は八夜に問う。
「……どうでしょうね。けど、常茂殿。岩塩は海で採れるわけじゃありませんよ……」
「むう、そうなのか……」
 
 実際は見知った商人たちを集めて妖異を退治することを明かし、善意の出資の名目で妖異に効果のありそうなものを探させた結果である。他にも霊験あらたかとされる怪しげな護符や魚の燻製などもあったりした。
 地元、武家の出であるとはいえ現状は一介の足軽である常茂の言に協力が得られたのは、この話が最終的に殿の耳に入るからといった餌を撒いた強かさの成果ともいえよう。

「で、だ。俺に訊いたということはだ。八夜、お前のほうも妖異に目星はついていないのか?」
 話題を逸らすように、常茂は空を見る。
「目星ですか……南蛮の書物や宣教師の人からの聴取、情報などからどのようなという推測なら。ただ――」

「ただ?」
「腑に落ちない点がいくつか。しかし異国の妖異であることは確かかと」

「そう言われても俺にはさっぱりなんだがな……」
「では情報をまとめるためにも、少しお話をしましょう」

 事の起こりは西方より南蛮の船が来航したことによる。目的は敦賀の豪商と商いを行うためであったが、船員と積荷以外にも乗船した存在がいた。
 密航した妖異の存在。異人の船員の証言によれば陸に着いたと同時、船に乗り込んでいた船員を一名連れてあっという間に逃げ出したという。

「その後は、殿のほうに要請があったので常茂殿もご存知ですよね」
 話を振られ、合点いったと鷹揚に頷く。
「ああ、そういうことか。先日、俺らに下った異人の捜索命令が、それってわけか。確か……遺体を発見した隊の奴らが言ってたな、えらく腐ってたとか何とか」
「はい、直接確認していませんが……人伝いに訊いた限り間違いはないようです。とても数日の間に腐敗したとは思えないほど酷かったと――」

 遺体から個人を特定するのが困難であるほどの腐食であったが、片方の目玉がなくなっていたことを除けば外傷らしきものは認められず、異国の人間特有の服装と体格によって辛うじて、船員であると確認することができていた。
 その後は異国の形式に則り篤く葬られた、までが事件の顛末となる。

「うん? 異国の奴ら、敵討ちだのは言わなかったのか」
「彼らは遺体を確認し弔ったら船に戻ったそうです」
「長い船旅、同じ釜の飯食って苦楽を共にすりゃあ情も湧くだろうに……」
「そこはまぁ、そういうことと納得するしかないですね。彼らなりの流儀なのかもしれませんから」

 異国との取引が盛んになったとはいえ、根底にある文化の違いは相互理解が及ぶほど精通している者は両者皆無に等しい。もっとも、人らしくというならばそこに大きな違いがあるとも思えないのは、八夜も同じ意見ではあった。
「ま、そんなもんか。それで気になる点というのは?」

「ええ、妖異の行動と腐敗の原因です」
 それこそが異国の妖異の仕業となる。のだが……

「まず、長い間密室に近い船内に潜みきっていた妖異がなぜ出る時にわざわざ人質などという回りくどい手段を選んだのか」
 人の足であれば、逃げるまでの安全として人質が必要になる。しかし、件の妖異は瞬く間に消え去り、領内へ苦もなく忍び込んだとすれば、荷物となる足手まといでしかない。可能性としては食人の嗜好だが、食べるわけでもなくただ腐らせただけ。と、八夜にはどうしようもなくおかしな事態だと思えた。

「気にしすぎなんじゃないのか? 枕返しがどうして枕ひっくり返すのか、みたいなことなら考えるだけ無駄だろう」
「はあ……確かに一理はあるのですが、気になったのは領内で起きた事件と重ねるとまた違った見方になるのです」

「他になんかあるのか?」
 常茂に促されるようにして八夜は言葉を継ぐ。
「はい。出立前に、確認を取った情報ですが異人の遺体が見つけた時、隊の方が有り得ないものを見たと」

 見たものとは、近隣の村の人間。
 それだけならば何の問題もないはずだが、その人間というのはひと月ほど前に飢饉と病で亡くなった人間で目撃者は飢饉と病の折に埋葬したのをしかと確認したという。
「死んだ人間がねえ……こういうのは黄泉還りって言うのか?」
「そうですね。日ノ本の妖異にはまず見られぬ特徴とも思います」

 罪人の死体を運び去る火車、遺体を喰らう魍魎。共に死者に関連はするものの、死人を動かす存在ではない。近しい存在を探すと大陸の僵屍(きょうし)となるのだが、こちらは人を喰らいはしても腐らせることはない。
「結局、目星はつかないんだな?」
「いえ、南蛮のほうには吸血鬼(ばんぱいあ)という珍しい鬼がいるそうです。人の血を吸ってその相手を食人の鬼に変えて使役するとか」

「ならそいつなのか?」
「まあ、可能性自体は否定できないという範囲ですね」
「……結局は見つけてぶった切るまでわからないってことだな」
「ですね。あともう少しでその村に着きますよ。護衛よろしくお願いしますよ、常茂殿」

 道の先、陽に照らし出された廃村が二人の視界に入って来た。

お試しSS 一幕(fol)

  • 04.22
  • 2012

 諸将いわく、戦国のごとし。
 故事になぞらえ言わしめる乱れに乱れを生じた世相。下克上が吹き荒れる戦の世。国を治め天の意とならん朝廷や幕府にかつての趨勢はなく。今日において彼らを御旗にと仰ぐ将の存在に関しては、不敬と思われても稀少であると断じざるを得ない。ならば今の理は何を示しているのかといえば――天道である。
 天地自然の法則を以って、器量なき意に成り代わり自らが覇に旗にと。

 近江国佐和山城、その一室客間にて小と大、民と士。二人の人間が座して向き合っている。一方は先の見識を語る華奢で小柄な者、名を八夜(はちや)という。若輩ながら城主である大名に召抱えられている御伽衆の一人。もう一方大柄な男、名を遠藤常茂(えんどうつねしげ)。着流しで堂に入った所作で胡座で寛ぎ、噺に耳を傾けていた。

 噺と言っても役目から来るものではなかったのだが八夜は続ける。

 時代は変わった、しかして新しき世が到来したわけではない。
 明や南蛮などを始めとする異国列強らによる、言外に秘めた外圧に押し出されることでようやくこの国、日ノ本に生じた兆しでしかない。

 否、はっきりと口にするなら遅れているのだ。
 鉄の筒や船。綺羅綺羅しいまでの装飾に文化。挙げれば限がないことこの上ないそれらを興隆させた知識、また築いてきた歴史(おもみ)と比肩する版図は脅威の一言でしかなく。
 我々の称す国と彼らの称する国が意味するところに大きな隔たりが介在しており、護国を憂う者であれば決して座することのできない急事に他ならなかった。
 そう、歴史の差。故事になぞらえたように異国はすでにそのような時世を超えて。個の国をまとめ上げた群――国家成立という大事を樹立している。異邦へと打って出ていることからも察しがつく。

 ただ、こうした危惧も物の見識をずらすと――たとえば市井に生きる者に広げて考えるならそれは雑事で。それこそ後世の識者に一任したほうがいっそ清清しいまでに健全だとも思う。
 同時に、そうやって楽観できるほどには……乱世の明けも見えていた。

 ゆえにこれは私見であり、それが生業でもあるわたしの言であります。と息を切って、
「今の時勢については、侍である遠藤殿のほうがお詳しいかと」

「相分かった、八夜。御高説はごもっともで。だから……だからこその決断と聞き入れてほしい」

 武士としての矜持か、歳のためか。ゆるりとも頭を下げることはなかったが、頼むと一念を押し。相対する八夜は困ったように眉尻を下げて笑う。
 常茂は、その所作を女子のようだと思い、気抜けたように頭を掻いた。
 そう勘違いしそうなほどに、八夜の面立ちは幼くそれでいて整っており、槍働きは期待できそうにないか弱さが手伝い両者の違いをまざまざと語っていた。

「決断――ですか」

 八夜は言葉を思い返し目を閉じて考える。
 乱世が終わりに向けているというのは、そのまま戦の終わり。戦にて己こそが武功を挙げる、そのことが武士の本懐とされるからこそ――まして近江の一城であるこの場所は、一揆こそ起きることはあれど前線ですらない。鎮圧も功とはされるが華ではない。 常茂 のような力を基礎とする若い武芸者には生殺しに近いのだろう。
 常茂の言う決意はわかっていた。ただ先がわからず言葉を継ぐ。

「名を上げるでしたか。でもそれとわたし、どのような繋がりが」
 見当のつかない八夜に常茂は力強く。

「妖異を討つ――そいつで己が一廉のもののふであると世に知らしめる」
 座したままに歌舞いて仁王のように格好を決める姿は冗談でしかない。が、その目狂人のごとく染まりきっており真実誓っていた。

「かよう申されましても、わたしは陰陽師や僧侶まして刀鍛冶でもありませんよ?」
 退治、捕り物。言葉は浮かびこそすれ、そういった荒事に協力するだけの技など見た目の通り八夜は持ち合わせてなどいない。

「知ってる。あんたは殿の御伽衆、そのお役目は茶人や商人とは異なることも踏まえてる」
 ならば何故? 八夜は困惑の色を深め視線で返す。
 生業は情報の収集である。それだけならば先の文化人や草の者で十分。では何故そういった役目につけているのかと問われれば、八夜は半分の理屈は殿の享楽と答えるであろう。
 そして残り半分は……

「まず一つ。あんたは妖異を知っている」
 否定も肯定もせず、なるほど、と八夜は相槌を打つ。

 二つと口にして、常茂は証拠でも提示するように八夜を指した。正確には右肩、ずっと静かに留まっている大鴉を指した。
 大きさは雄の雉に勝るとも劣らぬ体格、濡れた髪の艶やかさ羽に持ち、平素より八夜の肩を居所としている。そして水を向けられたことを拒むよう猛禽らしきするどいくちばしは、つい、と庭先を示してそっぽを向いた。
 常茂は特に気にすることなく。
「その大鴉を常より連れているのが何よりの奇異。妖異の類を手繰るには――」

「お待ちください」
 さもこの世の理を語るような自信溢れた言葉を制して常茂を見る。

「それは勘ということですか?」

「そうか……ああ。それだ」

 言われ気づいたと常茂は得心する。その様子に八夜は肩の大鴉の羽を撫で、
「猪や熊を狩るのとは違うのですよ、妖異は……。それに」

「日ノ本の人と妖異は不干渉こそを尊ぶと?」

「ええ、こんなことは物心がついた童でも知っていることです」
 大禍時(おうまがどき)という言葉がある。黄昏の時分を表して陽と影の境界。彼ら妖異の時が訪れ、人は陽の光の下に、妖異は影に闇に。古来よりの不文律。
 もちろん、まったく交流がないわけではない。人が夜にも活動が可能なように、陽の中を妖異が歩くこともある。ただ、過去を紐解いたところで人と妖異とでは在り様が違いすぎるため、今日において大々的に繋がりを持つことはなかった。

 だから大の男が、それも主に仕える侍が、藪を突くのかと言外に咎める意味を忍ばせる。
 しかし常茂も、それだけは予見していたとしたり顔で。
「それは八夜が先ほど話をしてくれただろう。異国だ」

 ふいに上がった言葉によって呆気に取られた八夜に先んじて、常茂がようやく正しい目的を口にする。
「異国から渡来する妖異を討つ。俺は武威を、八夜は噺を。悪い話ではないだろう」

 その考えは決して間違いではない。この国の妖異とは暗黙の了解があろうとも、それが異なれば。ましてその妖異の存在が問題になり始めているならば……

 そこまで考え今度は八夜が得心する。何故それを、知っているか。
「殿……ですね」
「そういうことだ。御伽衆の八夜殿の護衛役を申し付けられた」

 下知された、と言ったが八夜はそのようなことを仰せつかった覚えはない。おそらくは……常茂が申し出て殿が興味を持ったのが真相であろう。そう思えば八夜の中には、事象に対する事情やもろもろも透けて見えるというもの。遠藤の家といえば――
 先の言葉を飲み干して八夜は鼻息を小さく吐き出し、
「わかりました。……あくまでも情報を集めることが目的なので、妖異に出会えなかったとしても……」

「おう、わかった。愚図られるかとも思ったが顔に似合わず男前な即決ありがたい」
 口角を上げて常茂は利き手を差し出し促すように手のひらを揺らした。
「んっ、なんだ握手だよ。これから旅の仲間だからな」
 なんの衒いもなくある手と顔を見比べてから、八夜はおずおずと手の平を交わした。

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