HOME

>

スタッフブログ

>

2012/04

エントリー

15年の片思いという呪い(藤田)

  • 04.29
  • 2012

父親の退職祝いに、父と母、そして弟を連れて温泉旅行に行ってきました!
肝心の父親は食事の時以外はひたすら寝ており、今自宅に着いてから「パチンコ行って来る!」って言ってた時の笑顔の方が遥かに輝いてたので、もう金輪際金を出して父親と旅行する事はない。

で、その旅行では両親用にはベッドルームが別にあって、俺と弟は枕をくっつける事はないものの、20年ぶりぐらいに弟と同じ部屋で寝ました。お互い少し酒も入っており、久しぶりに他愛のない事を眠くなるまで喋っていました。

そこで印象に残った話がありました。弟は殆ど話を盛ったりする事はないので多分現実にあった事なのでしょう。

今年弟の職場に新卒で入ってきた男性は小学校一年生の時から15年間、ずっと想い続けている同じ歳の女性がいました。高校も大学も同じ学校に通えるように男性は女性に合わせました。
……どこかで聞いたような話だな。

しかし男性は15年の間、一度も想いを伝える事はしなかったそうです。幼馴染で気心の知れた友人、という立場が伝える事によって壊れる事が、とても、とても、恐かった。想いが募るほどその恐怖は増したそうです。愛する故に、離れる事が何よりも恐い。性別問わず誰もが一度は経験する恋のジレンマなのではないでしょうか。

結論から言いましょう。社会人になり、男性の想い人は関東圏に引っ越しました。男性は地元で就職しました。そして間もなく、男性の想い人は彼からの、電話も、メールも、拒否状態になりました。

弟は彼が「どうしてこうなったのかわからない」と泣きながら相談してきた事に対して「それはフラれたんだよ」と告げると、彼は「想いも伝えてないのにただ拒絶されるなんて、考えた事も無かった。あんまりだ」と酒をあおり、むせび泣いたそうです。

この一連の話に対する感想は人によって色々違ってくると思いますが、俺はその恋は片思いのジレンマを放置した故に呪いとなった。そう思いました。言葉にして伝えなければセーフ、という勘違いに縋って、一番避けたかった最悪の結末を招き、おそらく彼の恋愛感は15年の片思いとその結末によって歪に縛られてしまうでしょう。それはもう愛でも情でも無く、呪いです。

これが仮想の物語であれば、貫いた想いは美談として語られる典型かもしれませんが、現実で「15年間の片思い」という状態を維持していたなら、維持していたつもりでいたならば、おそらく彼は先送りにしただけで、感銘を受けるような決断も挑戦も全部逃げてただけだと思うのです。

そして恐ろしい事に、彼はまだ想い人を愛してるし愛し続けたい、そう断言したそうです。弟はそれに対して何も言えなかったそうです。俺は帰りの車の中でその話を思い返して、その気持ちは呪いであると、結論付けました。

俺は二次元では幼馴染設定が大好物であり、タイムリープメールから始まるアニメ化もしている例のアレはファンディスクこそ正史であると常に主張したり、何が何でも、ろっこー×いおん、な過激派ですが、現実でそういう話を聞くと実際に自分に幼馴染の女の子がいなくて良かったなぁ、などと思いました。多分俺が彼の立場であれば、俺も呪いに侵されていたのが容易に想像できるからです。恋愛感はきっとかなり似てる。

しかし、俺に幼馴染がいないのは、小学生一年にして女子からは「不潔菌」と言われそのまま6年間「女子は皆俺の事が嫌いで触る事すら罪悪」と刻み込まれるような幼年時代を送り、性質の悪い事に俺が触ろうとすると叫び逃げて泣き出すことすらある女子を見て興奮していたナチュラルボーン変態なので、結果幼馴染の女子、などというものは成立しなかっただけなのですが。男子女子の対立が日常茶飯事で異性同士で仲良くしようものなら即つるし上げな小学生時代になお友人関係を維持していた彼は実は凄い良い男なんじゃね?そう考えるとやはり恐ろしい呪いだよ……!

一途な想いと呪いは紙一重。一途過ぎて喪失のショックから変な宗教に嵌まったりしないようにしないといいな、その前に素敵な人と新しい恋を出来れば良いな。そしてその一途さをいずれ昇華できると良いな。そう願います。

ちなみにこのブログ、「葬送カノン」のシナリオとちゃんと関係ある話です。
本当ですよ?

お試しSS 一幕(fol)

  • 04.22
  • 2012

 諸将いわく、戦国のごとし。
 故事になぞらえ言わしめる乱れに乱れを生じた世相。下克上が吹き荒れる戦の世。国を治め天の意とならん朝廷や幕府にかつての趨勢はなく。今日において彼らを御旗にと仰ぐ将の存在に関しては、不敬と思われても稀少であると断じざるを得ない。ならば今の理は何を示しているのかといえば――天道である。
 天地自然の法則を以って、器量なき意に成り代わり自らが覇に旗にと。

 近江国佐和山城、その一室客間にて小と大、民と士。二人の人間が座して向き合っている。一方は先の見識を語る華奢で小柄な者、名を八夜(はちや)という。若輩ながら城主である大名に召抱えられている御伽衆の一人。もう一方大柄な男、名を遠藤常茂(えんどうつねしげ)。着流しで堂に入った所作で胡座で寛ぎ、噺に耳を傾けていた。

 噺と言っても役目から来るものではなかったのだが八夜は続ける。

 時代は変わった、しかして新しき世が到来したわけではない。
 明や南蛮などを始めとする異国列強らによる、言外に秘めた外圧に押し出されることでようやくこの国、日ノ本に生じた兆しでしかない。

 否、はっきりと口にするなら遅れているのだ。
 鉄の筒や船。綺羅綺羅しいまでの装飾に文化。挙げれば限がないことこの上ないそれらを興隆させた知識、また築いてきた歴史(おもみ)と比肩する版図は脅威の一言でしかなく。
 我々の称す国と彼らの称する国が意味するところに大きな隔たりが介在しており、護国を憂う者であれば決して座することのできない急事に他ならなかった。
 そう、歴史の差。故事になぞらえたように異国はすでにそのような時世を超えて。個の国をまとめ上げた群――国家成立という大事を樹立している。異邦へと打って出ていることからも察しがつく。

 ただ、こうした危惧も物の見識をずらすと――たとえば市井に生きる者に広げて考えるならそれは雑事で。それこそ後世の識者に一任したほうがいっそ清清しいまでに健全だとも思う。
 同時に、そうやって楽観できるほどには……乱世の明けも見えていた。

 ゆえにこれは私見であり、それが生業でもあるわたしの言であります。と息を切って、
「今の時勢については、侍である遠藤殿のほうがお詳しいかと」

「相分かった、八夜。御高説はごもっともで。だから……だからこその決断と聞き入れてほしい」

 武士としての矜持か、歳のためか。ゆるりとも頭を下げることはなかったが、頼むと一念を押し。相対する八夜は困ったように眉尻を下げて笑う。
 常茂は、その所作を女子のようだと思い、気抜けたように頭を掻いた。
 そう勘違いしそうなほどに、八夜の面立ちは幼くそれでいて整っており、槍働きは期待できそうにないか弱さが手伝い両者の違いをまざまざと語っていた。

「決断――ですか」

 八夜は言葉を思い返し目を閉じて考える。
 乱世が終わりに向けているというのは、そのまま戦の終わり。戦にて己こそが武功を挙げる、そのことが武士の本懐とされるからこそ――まして近江の一城であるこの場所は、一揆こそ起きることはあれど前線ですらない。鎮圧も功とはされるが華ではない。 常茂 のような力を基礎とする若い武芸者には生殺しに近いのだろう。
 常茂の言う決意はわかっていた。ただ先がわからず言葉を継ぐ。

「名を上げるでしたか。でもそれとわたし、どのような繋がりが」
 見当のつかない八夜に常茂は力強く。

「妖異を討つ――そいつで己が一廉のもののふであると世に知らしめる」
 座したままに歌舞いて仁王のように格好を決める姿は冗談でしかない。が、その目狂人のごとく染まりきっており真実誓っていた。

「かよう申されましても、わたしは陰陽師や僧侶まして刀鍛冶でもありませんよ?」
 退治、捕り物。言葉は浮かびこそすれ、そういった荒事に協力するだけの技など見た目の通り八夜は持ち合わせてなどいない。

「知ってる。あんたは殿の御伽衆、そのお役目は茶人や商人とは異なることも踏まえてる」
 ならば何故? 八夜は困惑の色を深め視線で返す。
 生業は情報の収集である。それだけならば先の文化人や草の者で十分。では何故そういった役目につけているのかと問われれば、八夜は半分の理屈は殿の享楽と答えるであろう。
 そして残り半分は……

「まず一つ。あんたは妖異を知っている」
 否定も肯定もせず、なるほど、と八夜は相槌を打つ。

 二つと口にして、常茂は証拠でも提示するように八夜を指した。正確には右肩、ずっと静かに留まっている大鴉を指した。
 大きさは雄の雉に勝るとも劣らぬ体格、濡れた髪の艶やかさ羽に持ち、平素より八夜の肩を居所としている。そして水を向けられたことを拒むよう猛禽らしきするどいくちばしは、つい、と庭先を示してそっぽを向いた。
 常茂は特に気にすることなく。
「その大鴉を常より連れているのが何よりの奇異。妖異の類を手繰るには――」

「お待ちください」
 さもこの世の理を語るような自信溢れた言葉を制して常茂を見る。

「それは勘ということですか?」

「そうか……ああ。それだ」

 言われ気づいたと常茂は得心する。その様子に八夜は肩の大鴉の羽を撫で、
「猪や熊を狩るのとは違うのですよ、妖異は……。それに」

「日ノ本の人と妖異は不干渉こそを尊ぶと?」

「ええ、こんなことは物心がついた童でも知っていることです」
 大禍時(おうまがどき)という言葉がある。黄昏の時分を表して陽と影の境界。彼ら妖異の時が訪れ、人は陽の光の下に、妖異は影に闇に。古来よりの不文律。
 もちろん、まったく交流がないわけではない。人が夜にも活動が可能なように、陽の中を妖異が歩くこともある。ただ、過去を紐解いたところで人と妖異とでは在り様が違いすぎるため、今日において大々的に繋がりを持つことはなかった。

 だから大の男が、それも主に仕える侍が、藪を突くのかと言外に咎める意味を忍ばせる。
 しかし常茂も、それだけは予見していたとしたり顔で。
「それは八夜が先ほど話をしてくれただろう。異国だ」

 ふいに上がった言葉によって呆気に取られた八夜に先んじて、常茂がようやく正しい目的を口にする。
「異国から渡来する妖異を討つ。俺は武威を、八夜は噺を。悪い話ではないだろう」

 その考えは決して間違いではない。この国の妖異とは暗黙の了解があろうとも、それが異なれば。ましてその妖異の存在が問題になり始めているならば……

 そこまで考え今度は八夜が得心する。何故それを、知っているか。
「殿……ですね」
「そういうことだ。御伽衆の八夜殿の護衛役を申し付けられた」

 下知された、と言ったが八夜はそのようなことを仰せつかった覚えはない。おそらくは……常茂が申し出て殿が興味を持ったのが真相であろう。そう思えば八夜の中には、事象に対する事情やもろもろも透けて見えるというもの。遠藤の家といえば――
 先の言葉を飲み干して八夜は鼻息を小さく吐き出し、
「わかりました。……あくまでも情報を集めることが目的なので、妖異に出会えなかったとしても……」

「おう、わかった。愚図られるかとも思ったが顔に似合わず男前な即決ありがたい」
 口角を上げて常茂は利き手を差し出し促すように手のひらを揺らした。
「んっ、なんだ握手だよ。これから旅の仲間だからな」
 なんの衒いもなくある手と顔を見比べてから、八夜はおずおずと手の平を交わした。

健康第一(藤田)

  • 04.14
  • 2012

もし、突如自分の人生が残り僅かになったらどうしますか?

人は無残に見苦しく生きる事もあれば、瞬きの間に死んでいることもあります。
必ず訪れる「死」という人生の結末を自分で演出出来る余力があれば、短い人生でも幸せかもしれない。私見ですがそう思います。
そして自分が命数が少ない事が分かったならば、難しいかもしれませんが、家族、友人、仲間、大切な人達に感謝を告げて終りたい。そう願っています。

……いや、私はまだ死なないですよ、多分。仮にもうすぐ死ぬとしたらすげー生き汚い最期になるでしょうよ。自分の死を間近に生あるものを眺めたら妬まずにはいられないほど満たしていない欲望が沢山あるんですよ私は!第一候補は馴染みの宿があるんですがね、そこに好きな女の子と一週間ぐらい逗留したい!お金は出しますがキャバクラ嬢との同伴旅行みたいなのじゃなくてね「あなたと一緒に過ごせるだけで幸せ」って思ってくれてる、と確信出来る女の子と行きたいです。実現する可能性は万が一ですが、叶うならばそれで人生終っていいよ!宿泊最終日の夜にその子に手を握ってもらって、最期に「ありがとう、幸せだった」と告げて眠るように死ねたら幸せだなぁ……

とか言うと思うかこのウジ虫野郎ー!!(自分をアイアンクロー)

自分が死んだら悲しむ人を残したままなのに、幸せに死ぬとかドンだけ自己中や!せめて悲しむ人を残して逝ってしまう自分の不甲斐なさを恥じて死ね!

ですがもし自分を恥じて死んでしまったら、残された悲しい人はもっと悲しい。だから恥じる自分を悟らせず、心の底からの笑顔で死ね!

……あー、シナリオのラスト改変したくなった。あそこは、なんて言うかね、こうね、もっとね、色々詰め込んでね、テーマから真正面に取り組んでね、だからね、ちょろちょろ~と改変するのでもう少し待って……駄目ですか、もしやったら6回目の改変だもんね。余波で他の人が担当したシナリオほぼ全面改稿になっちゃったから、もうしません。ごめんなさい。

というわけで指示入れシナリオ全部揃いましたー!!並行して進めてた素材集めも難題を残してはいるものの、少しずつ集まっています。立ち絵も間もなくラフが揃うので、ようやくノベルゲームとしての「葬送カノン」が形になってきました。そして「ゲーム」として形にするのはここからが本番です。今回は何としても完成に辿り着きたい、前回の「青春カルテット」もそう思ってましたが、今回は確実に色々レベルアップしてますので、関わってくれている人々の思いと労力を無駄にしない様に最後まで気を抜かず進行していきます。時間はまだかかりますが、ご期待には応えられる作品になると思いますので、どうかお待ちください。

と、言うわけで切実に「葬送カノン」完成まで死ねません。もう無理の利く歳でもないので自費で健康診断も受けてこれが遺作にならないように気をつけます。メタボリックなので色々心配……ていうか血糖値が既に心配。あと尿酸値。それと血中脂肪と、肝臓の数値もやばいかなー。

……きっと今死んだら皆に言われるねー「自業自得」と。ていうかこのブログを書いてる時間帯がヤバイ。あと夜食にラーメン食べちゃった。だから俺は今死んだら自分の愚かさを恥じて死にます。あるメンバーさんは言いました「藤田さんが連絡取れなくなったら不摂生で死んだんだなー、て思うことにします」と。逆に音信不通になったら死んだんだな、って思われるぐらい制作に真正面から取り組んでいるんだな俺!って言う冗談を言える空気ではない、とひしひし伝わって来ましたので、気をつけます。はい。

オチ?ないよ!期待に添えない様子であれば日曜にいつものノリで再度更新する!かもね!

独断と偏見しかない会話文考察。(遠野)

  • 04.09
  • 2012

 唐突ですが、会話ってのはもっと綱渡り的にスリリングではないかと遠野は思うのですよ。
 会話文を字面だけで見ればそれほど理解するに難くないですが、実際の会話において、その半分くらいは聞き流しているような気がします。理解の及ぶ前に次の話のネタを振ったり振られたりする感じですかね。まさに「話半分」ってなわけです。もしかしたら話半分でもよく理解している方なのかも知れません。それでも不思議と普段から会話が(まあ概ね)成立しているってことは、案外人間って生き物はテキトーに生きているのでしょう。
 と、前置いて。
 今回、私が何を言いたいのかというと、小説(あるいは物語)における会話の御都合主義さは退屈ではないか、ということですな。
 簡単に言えば、
A「あそこの○○って●●だよねー」
B「えっ」
A「えっ」
ってことが起こらない会話ってちょっとおかしいでしょう常識的に考えて、っつーことです。
 そももも空想妄想の類である小説物語にそういった突っ込みはナンセンスだ、とかいう突っ込みがそもそも野暮であるとして話を進めます。

 海外ドラマの「ドクターハウス」というテレビドラマをご存知でしょうか。一昔前に深夜に日本でも放送していたもので、これがとても面白い。
 あらすじを説明すると、捻くれ者だが天才医師であるハウスが様々な要素から破天荒に推理して患者の病気を明らかにする、というある種のミステリ?です。
 ミステリにおける魅力というのは大別して三種類かと思います。
 華麗なる主人公の推理。難解な犯人のトリック。犯人の意外な動機。「ドクターハウス」に置き換えれば、ハウス医師の診断。病気の症状。病気の発症原因。となるでしょうか。
 しかし、ミステリ?と分類したもののぶっちゃけ扱うものが特殊な病気なので、一般的な視聴者が推理して謎を解き明かせることは滅多にありません。
 夫が突然正体不明の病気に⇒なんやかんや⇒病気の正体は重金属アレルギーだ!
 無理です。少なくとも私には想像の埒外でした。伏線がしっかり張ってあっても伏線の意味が専門的過ぎてわからないのです。上記のミステリとしての魅力はほとんど無いし、あまりにも卑怯と言えます。フェアじゃない。
 それなのにこの海外ドラマがお気に入りになってしまった理由は、ひとえに「会話の面白さ」です。
 軽妙洒脱な台詞回しは海外ドラマの十八番ですし、展開の巧みさは流石ハリウッド仕込。しかし、何よりもすごいと思ったのは、次に口から飛び出してくる言葉の予測の付かなさ。
 実際に視聴してもらわないとこの部分は伝わらないのがもどかしい!(なので、機会があれば是非に)
 日本のテレビドラマには見られない要素だと思います。あえて日本のもので近いのを挙げるとするなら、突拍子の無さで「トリック」でしょうか。

 人間の思考というものはときとして飛躍するものです。
 まったく関連のないところからふと湧き上がるアイデア。所謂インスピレーション。有名なものでは将棋の羽生名人の例があります。
 彼は将棋を指すときに演繹的に二手三手先を読むのではなくて、「あ、ここだな」と直感的にわかるのだそうで。
 身近な例では、やはり会話です。
 昨今の政治情勢について話していたのにいつの間にかアニメ論争していた。何を言っているのかわからねーが俺にもわかr(ry という経験はないでしょうか。
 私にはあります。
 どう考えても繋がらない話題なのにどうして。ホワイ?
 つまり会話の突拍子の無さ。綱渡り的スリリング。
 ここで漸く核心部分に辿り着くわけです。長かった……。
 小説においてはどのキャラクタも作者が考えた言葉を発します。言わば作者の一人語り。
「でも、それって作者の独り言であって会話ではないよね。友達いないの?」と揶揄されても過言でないです。
 そもそも頭の中である程度の枠組みを作ってしまい、その中に会話を詰め込もうとするから御都合主義的な会話文になるのではないかと。御都合主義的なキャラクタは目覚まし時計にも劣ります。
 相手が次に発する言葉がわからないからこそ会話を楽しめる。
 物語におけるキャラクタは(設定にも因るけど)生きた人間であって、生きた人間であるからにはその思考は飛躍するし、そうなれば先の見えない会話は当然スリリングになります。
 しかしながら、ひとつの頭しか持たない一人の作者が複数の生きたキャラクタを個々に操るのは中々に難しい。
 だからこそ「キャラクタが好き勝手に動き回る」という言葉があるのでは、と思うのです。そうでないとまさに小説の一ページのようにぺらいキャラクタになってしまう。そんなインクの染みみたいなキャラクタが跋扈する物語を読んでもつまらないでしょう?
 まあ、独断と偏見ですがね。

ユーティリティ

archives

feed