鏡の中に映ることりは、まるでお姫様みたい。でも、おとぎ話に出てくるお姫様の華やかなローズ色のドレスじゃなくって、オフホワイトの清楚。
 何種類ものレースを惜しみなくふんだんに使ったプリンセスラインのドレスは本当に絵本出てくるみたい。ロングベールにちっちゃなクラウンを飾って、夢にまで見たお姫様は現実に飛び出して、幸せな花嫁さんになった。

 そう、今日はことりの結婚式です。

「はわ~! ドキドキします」
 姿見の中の花嫁さんに見とれながらきゅっと胸の前で両手を握りしめると、鏡の中の花嫁さんも同じポーズです。
 他にも腕を組んでみたり、椅子に座ってみたり、いろいろしましたけど、やっぱり鏡の中の花嫁さんはことりの真似っこをしてきます。
 やっぱり、この花嫁さんはことりなんですね!
 信じられない気持ちでいっぱいです。こんな素敵なお姫様みたいな花嫁さんがことりだなんて!!
「幸せです……」
 フィンガーレスグローブをはめただけのシンプルな左手を、そっと光が差し込む窓辺にかざす。その薬指に日の光がきらめき、まるでダイヤモンドみたい。
 プロポーズをされてから昨日まで、ずっとこの指にはエンゲージリングがいた。でも、今日はいません。だって、今日からこの席はマリッジリングのものなんですから。
 エンゲージリングよりもデザインはシンプルで質素ですけど、エンゲージリングよりずっと素敵なものです。
 約束を誓いに変えて、現実となった証の指輪だから。
「はう~。ことり、死んじゃうかもしれません」
 幸せ過ぎて、怖い。って、こういう気持ちのことを言うんですね。
 今日というこの日までの道のりが思い出されて、まるで走馬灯です。
 楽しかった日々、辛かった日々。ケンカをした日もありましたが、それを乗り越えて一層深い絆で結ばれてきた。
 きっと、これからもいろんなことがあります。それは今までと変わりません。でも、今日は一つの大きな区切り。
「結婚式当日に花嫁死亡なんて、シャレにならないよ。どこのサスペンスドラマ?」
「今日は火曜日じゃありませんよ」
 誰もいない花嫁控室で物思いにふけっていたはずなのに、急に聞こえた声に思わず返事をしてしまいました。
「え? ゆ、雪ちゃん……!」
 振り返ると、扉の前に幼なじみの大親友が立っていました。
「雪ちゃんが一番乗りですよ」
 お父さんと彼は、ことりの花嫁姿を式まで楽しみに取って置くと言っていましたから、ことりのこと姿を見るのは雪ちゃんが最初です。
 でも、雪ちゃんのこんな格好を見るのも初めてかもしれません。
「かわいいです!!」
 シックなストレートラインのワンピースっていうのは雪ちゃんらしい気もしますけど、ダブルフリルのボレロとか、コサージュやバッグの小物も利いてて、凄く可愛いです。
「変じゃないかな? 結婚式とか初めてだから、ちょっと不安」
「大丈夫です! ことり、雪ちゃんにメロメロです」
「よかった。でも、ことりの方がもっと綺麗だよ」
「ありがとうございます! なんてったって、一目惚れしたドレスですから」
 一番最初に目に入って試着して気に入って、一応他も見てみようっていろんなところをまわっていろんなドレスを着てみましたけど、やっぱり最初のこのドレスが一番でした。着る前から、ビビビッときたんです。
「ことりは一目惚れが多いね。今の旦那さんもそうだし」
「はわわっ! 旦那さんだなんて、恥ずかしいです。まだですよ、まだ」
 今日が結婚式ですから。まだ指輪の交換もしてませんし、まだ旦那様じゃないですよ。でも、式が終わったら……
「きゃっ! 照れちゃいます~」
「でもね、綺麗なのはドレスじゃなくってことりのことだよ」
「ゆゆゆ、雪ちゃん……」
 真っ直ぐに見詰められてそんなことを言われたら、ことり、ドキドキしてしまいます。
「ことり、綺麗だよ」
「雪ちゃん……」
 雪ちゃんと初めて会ったあの日のことを、ことりは今でも忘れません。
 雪ちゃんは、ことりの初恋の人。お兄ちゃんの魔の手からことりを救ってくれた雪ちゃんは、まるで白馬の王子様みたいでした。
 で、その場でプロポーズしちゃったんですよね。
 女の子だって知った時は、すごいショックでしたけど、雪ちゃんはずっと小鳥のヒーローです。
「だ、ダメですよ! ことりはもう人妻になるんですから、誘惑しないでください!!」
 雪ちゃんの誘惑を振り切るように目をそらして叫びます。
 雪ちゃんにならさらわれてもいいかも。って、ちょっぴり思ってしまったのは内緒です。そんな波乱万丈な人生も素敵かもしれないなんて。
 でも、やっぱりことりには彼なんです。
 ことりは、彼のことが大好きなんです。
 王子様じゃない、ただの普通の男の人ですけど、それでも好きなんです。そんな彼が、大好きなんです。
 ずっと、一緒にいたいんです。
「結婚おめでとう、ことり」
「ありがとう、雪ちゃん……」
 おめでとうの言葉が胸に響く。
 私は今日、結婚する。もう、高梨小鳥じゃなくなってしまう。
 今の家を離れて、今の家族を離れて、彼と二人で新しい家庭を築く。
 本当に、ことりにそんなことが出来るんでしょうか? 彼と二人で支え合って、幸せな家庭を築くことが出来るんでしょうか?
 不安なんです、雪ちゃん……
「ことり? どうしたの?」
 ぎゅっと雪ちゃんに抱きつく。
「雪ちゃん……」
「ん? なに」
「大好きです!! ことり、雪ちゃんのことが大大大好きなんです! ことりがお嫁に行っちゃっても、ずっとことりの親友でいてくれますか?」
 不安だった。
 結婚したらいろんなものが変わってしまいそうで、今まで築いてきた雪ちゃんとの友情も壊れてしまいそうで、怖かった。
 雪ちゃんのことも大好きだけど、ことりは彼と結婚します。友情よりも恋愛をとってしまったような、罪悪感。
「なに言ってんの、当たり前でしょ!」
「雪ちゃん……」
 でも、雪ちゃんが優しく笑って答えてくれるから、ことりはきっと大丈夫です。雪ちゃんがずっと小鳥の親友でいてくれるなら、それだけでことりはいろんなことが頑張れそうな気がします。
 いろんな不安も、吹き飛んでしまいます。
「ブーケトス、雪ちゃんに投げますね! だから、絶対に受けとってくださいよ!!」
「え? あはははは」
 ことりも、雪ちゃんがお嫁に行ってもずーっと雪ちゃんの親友でいたいです。
 雪ちゃんのおかげで、笑顔が戻る。きっと、最高の笑顔で式を迎えられます。
 でも……まだ心配なことが一つだけ。
「……お兄ちゃん、見ませんでしたか?」
「来てないの? 高梨兄のことだから、今日は一日中ことりの写真撮ってそうなのに」
「お兄ちゃん、どうしたんでしょう?」
「ことりがお嫁に行っちゃうのが寂しくて、隠れて泣いてんじゃないの?」
「泣いてるだけならいいんですけど……またよからぬことを考えてるんじゃないかと、ことりは心配なんです」
「大丈夫、その時は私がヤツを倒すから」
「その格好で暴れちゃダメですってばー。せっかく可愛いのに」
 雪ちゃんと楽しく喋りながら、時は過ぎ、いよいよ式の時が迫る。
 雪ちゃんと別れて、私は教会の扉の前に案内された。
 そこには、バージンロードをエスコートしてくれるお父さん。
「お父さん、今までありがとう」
 そして、式が始まる。
 パイプオルガンの音色とともに扉が開かれ、お父さんと歩み出す。参列席の人々は、みんな笑顔でことりを祝福してくれていた。もちろん、雪ちゃんも。
 バージンロードの向こうには、彼が背を向けて立っている。彼のそばまで歩んだことりは、お父さんの手をはなれ、彼の元へ。
 そっと手を伸ばし、彼の手を取る。振り返った彼の顔を見上げた瞬間――
「ことり、どいて!」
 雪ちゃんが参列席から飛び出す。そして、雪ちゃんのハイキックが新郎のこめかみに炸裂した。

「なんで新郎がお兄ちゃんなんですか――――!!!!」

 パチリと目を開け、枕元で鳴り響く鐘をお兄ちゃんに投げつける。
「ことりの旦那様はどこですか? どこに行っちゃったんですか? アレですか。アレですね! お兄ちゃんが隠したんですね。入れ替わってことりと結婚しちゃおうっていうヤツですね!」
 目覚まし時計を顔面で受け止め、よろめいたお兄ちゃんの胸倉をつかみあげた。
「そんなの許しませんよ! 日本の法律では無理なことをわかってください! いいえ、例え法律が許したとしてもことりが許しません!!」
 胸倉を掴んだまま引き寄せ、ベッドに押し倒し馬乗りになる。
「ことりの恋路を邪魔するお兄ちゃんなんか、雪ちゃんに蹴られて死んじまえですー!!」
 お兄ちゃんの首をつかんでぶんぶん上下に揺さぶり、お兄ちゃんをシェイク。
「こ、小鳥! おおお落ちつけ!」
「落ちつけるわけがありません!!」
 振り返った彼が、まさかお兄ちゃんなんて! ことりがお兄ちゃんと結婚なんてありえません。
 ぜぇったいに嫌です!!!!
「小鳥に押し倒されるなんて素敵なシチュエーションだが、果たしてこの鼻血はそのせいなのか、目覚まし時計をぶつけられたせいなのか……そして、そんなに揺すぶられると…………吐く」
「嫌ー!」
 口を押さえたお兄ちゃんの姿に、慌てて飛びのく。
 そして、ようやく気がつきました。
「…………あれ、お兄ちゃんなんでタキシードじゃないんですか?」
 さっきまで、彼と入れ替わって白いロングタキシードを着ていたはずなのに、今のお兄ちゃんは普通の洋服です。これじゃあ、結婚式になんて出られません。
 それに、ことりがいるのも教会じゃなくって、いつもと変わらないことりのお部屋です。
「あ、あれ……?」
「確かに、小鳥の入学式という一大イベントにはタキシードが相応しいのかもしれないが、さすがに持っていないのでこれで許してもらいたい。今日というこの日の為にカメラ一式買い替えて、フィルムを五箱買ったりしたからお兄ちゃん金欠なんだよ!」
「ことりの……にゅうがく、しき? …………あああっ!!」
 そうです、今日はことりの結婚式じゃなくって、ことりの高校の入学式でした!!
「入学式早々遅刻なんて、考えられません!」
 入学式の最中に、一人遅れて入っていくなんて恥ずかしすぎますし、なにより雪ちゃんとの待ち合わせ!
「雪ちゃん、遅れちゃったらごめんなさいー!!」
「入学式早々遅刻…………みんなの注目をあつめる……クラスの野郎どもの視線が……」
 ことりのベッドに腰掛けたままお兄ちゃんがブツブツ言ってますけど、そんなことかまってられません。急いで支度をしないと!
「大勢の野郎どもが小鳥の可愛さに一目惚れ…………小鳥の高校生活が危険だ! それは阻止しなければ! よし、小鳥。急いで準備だ!」
 ちゃんとカバンの準備はしてありますよね? 昨日、寝る前に中身をチェックしましたけど、やっぱり心配です。
「まずは手始めに、着替えの手伝いから!」
 カバンのチェックをしようとしたことりの背後から、お兄ちゃんがことりのパジャマに手をかけてきました。
「きゃああああ!」
 だから思わず、振り向きざまの遠心力をかけたカバンで、お兄ちゃんを思いっきり殴ってしまいました。お兄ちゃんは半回転して、床に崩れ落ちました。
「ああっ! ごめんなさい、ケガはないですか? カバンさん!」
 これから三年間お世話になるカバンなのに、いきなり傷ついたりしたら悲しすぎます。
「もう、お兄ちゃん! 床で寝られたら邪魔すぎます。さっさと出て行ってください!」
「ことり~」
 お兄ちゃんを部屋から追い出して、また勝手に部屋に入ってこないように椅子でバリケードです。
「これでよし! さて、お着替えお着替えです」
 まだ新品の制服を、クローゼットの中から取り出します。
 今日から三年間、雪ちゃんとおそろいになる制服。ずっと違う学校だったから、これからどんなに楽しい高校生活が待っているかとてもワクワクします。
 お兄ちゃんの策略で女子中学に通わされていましたから、三年ぶりの男の子のいる学校……! すごくドキドキします。
 憧れだったんですよね。きっと、素敵な王子様が見つかるはずです!
「リボン、これで大丈夫ですね」
 鏡の中に映る、セーラー服のことり。
 今朝の夢で見た花嫁さんのことりほどじゃないですけど、この制服も十分魅力的です。
 今日は、ことりの人生の一大イベント結婚式――じゃなくって、入学式ですけど、大切な日になるのは間違いありません。
 期待に胸を膨らませながら、ことりは部屋を出ました。
 朝ご飯はしっかり食べて、歯ブラシは爽やかミントの香りで。身だしなみも整えて、透明グロスも忘れずに。制服の着こなしもバッチリ。新しい靴も、玄関でスタンバイしてくれています。鞄の中身も最終チェック、忘れ物ナシ。
「ことり、かわいいですか?」
「もちろん!」
 撮影機材一式を準備中だったお兄ちゃんが、一枚写真を撮りました。
「えへへ」
 お兄ちゃんが言ったみたいに、ことりに一目惚れする人がいたらどうしましょう。
「そういえば……」
 夢に出てきた『彼』って、誰なんでしょう。ことりの、未来の旦那様……?
「あっ! いけません。もうこんな時間です!! ことり、雪ちゃんと約束あるので先に行きますね」
「ええっ! ちょっと待っ……」
 お兄ちゃんがなにか叫んでいますが、ことりは気にせず玄関を飛び出します。
 今日は、とてもいいお天気です。



 ことりが大好きな雪ちゃん。
 ことりを大好きなお兄ちゃん。
 ことりの世界は、ずっとこの二人を中心に回っていました。
 今日という、この日までは……

「ことり、王子様を見つけてしまいました」

 三重奏は四重奏に。音色は深みを増し、青春のカルテットが始る。





「懐かしい夢を見たの。わたしたちの結婚式の夢。でも、違った。高校生になる、わたしの夢よ」


fin